« 青年の樹 | トップページ | チャペルに続く白い道 »

2019年10月 8日 (火)

老犬トレイ

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞・作曲:Stephen Foster、日本語詞:津川主一

1 この世の朝 はやも過ぎて
  黄昏るる頃となれば
  緑の村 老いたる犬
  わが胸に帰る
   ※コーラス
   老いたるトレーよ
   やさしくまめに われに仕え
   変わらざりし こよなき友どち

2 親しきもの 先立ち逝き
  愛するもの離れゆき
  ただわびしく ひとり残る
  ああ わが犬トレー
   ※コーラス

3 過ぎしときを 思い出(い)でて
  われを眺むるや汝(なれ)
  語りえねど むつまじきは
  われらが友がき
   ※コーラス

       My Old Dog Tray

1. The morn of life is past,
   And evening comes at last;
   It brings me a dream of a once happy day,
   Of merry forms I've seen
   Upon the village green,
   Sporting with my old dog Tray.
        Chorus:
        Old dog Tray's ever faithful,
        Grief cannot drive him away,
        He's gentle, he is kind;
        I'll never, never find
       A better friend than old dog Tray.

2. The forms I call'd my own
   Have vanished one by one,
   The lov'd ones, the dear ones have all passed away,
   Their happy smiles have flown,
   Their gentle voices gone;
   I've nothing left but old dog Tray.
        Chorus:

3. When thoughts recall the past
   His eyes are on me cast;
   I know that he feels what my breaking would say;
   Although he cannot speak
   I'll vainly, vainly seek
   A better friend than old dog Tray.
        Chorus:

《蛇足》 作曲家としてのフォスター(Stephen Collins Foster、1826年7月4日-1864年1月13日)の黄金期は、1850年代の前半。この時期に彼は、『ケンタッキーの我が家』『主人は冷たき土の下に』『故郷の人々(スワニー河)』『金髪のジェニー』など、いくつもの傑作を生み出しました。

 『老犬トレイ』もその1つで、1853年に発表されました。愛犬を亡くして間もない人は、胸が痛くなり、ときに涙を流すでしょうし、別れてから時間が経った人は、ともに暮らしていた頃の想い出を蘇らせることでしょう。これはそんな歌です。

 近所を散歩している折、私は、後期高齢者らしき人に連れられた老犬と出会うことがあります。飼い主は最大限のケアをしているでしょうが、犬の毛は荒れてつやがなく、前後の足を左右に突っ張って、転がらないようにしています。天に召される日も近いと思われる晩期高齢犬です。

 ドッグイヤーといって、犬は人間の7倍の早さで年をとるそうです。その犬が11歳だとすると、人間なら77歳に当たります。これは、2019年現在の私の年齢と同じです。
 終末期に近くても、犬の本性で地面を嗅いで縄張りを確認していますが、たまにひょいと顔を上げて、私と目を合わせるときがあります。その視線から、私は「やあ、ご同輩、お互い大変ですな」というメッセージを感じ取るのです。

 そうした一瞬の"ダイレクト・コミュニケーション"によって、最晩年における心の不安や肉体の苦痛については、10代~50代の人間とより、異種の老犬や老描とのほうがわかり合えるのではないかと思っています。

 『老犬トレイ』については、上記のほかに緒園凉子の日本語詞があります。こちらは2番までです。

1 春も過ぎて 秋とならば
  若き夢の懐かしき 緑の村
  楽し思い 狩をせし
  オールド・ドッグ・トレイ
    ※コーラス:
    オールド・ドッグ・トレイ
    我が友 こよなき友よ
    さびし我に 優し友よ
    優し友 オールド・ドッグ・トレイ

2 親しかりし 友は逝きて
  幸に満てる 笑みもなく
  悲し我と遊ぶものは ただ一人
  オールド・ドッグ・トレイ
  ※コーラス:

  1950年に、フロリダ州ホワイト・スプリングスのスワニー川のほとりに、フォスター博物館が作られ、その中に諸作品を題材としたジオラマ(『オールド・ブラック・ジョー』参照)が展示されています。
 各作品は絵葉書になり、売り出されました。上の絵は『老犬トレイ』の絵葉書の中心部分です。

(二木紘三)

« 青年の樹 | トップページ | チャペルに続く白い道 »

コメント

管理人さま

この曲は初めて知り聞きました。私のコメントは申し訳ありませんが、曲についてではなく管理人さまのコメントに対してです。同感です。私の家の老犬は少し認知症気味になり、変だと思っていた時ある日、鎖ごと逃げ出して行方が分からなくなってしまいました。必死になって近所の通りを探しましたが見つかりませんでした。しばらくたって、念のために保健所に問い合わせをしたところ、心当たりの犬がいました。すぐ行ってみると可哀そうに乱暴に扱われたらしく全身が濡れていて衰弱していました。処分真近の犬の飼い主が突然現れたので、係員は乱暴に扱っていたことを隠して気の毒そうに言いましたが、私は怒れませんでした。私の不注意でこんなことになったからだと思ったからです。家に引き取ってぶるぶる震える愛犬を暖かくしましたが、二日後に亡くなりました。後で聞いたら、愛犬は近所の家の木に引っかかって身動きが取れなくなっていたので、その家の人が保健所に電話したということでした。本当に可哀そうなことをしてしまいました。私は子供の頃からショップから買ったことはないけれど、捨てられていたり、たくさん生まれたので誰か引き取ってくれないか、というような犬ばかり数匹(頭)飼ってきました。でも、いつも知らないうちに親に捨てられたようで、死を見たのはこれが初めてでした。もう年なのでこれ以降ペットは飼っておりません。私も老犬になって来ました。近所の動物愛護センターにかわいくて可哀そうな犬がいるけれど、飼いたいけれど私が先に逝ったらと考えると飼えません。

投稿: 吟二 | 2019年10月 8日 (火) 21時41分

 出だしのイメージや全体のメロデイは「大きな古時計」に似た曲だとおもいました。 写真の中の椅子に座った老人、見上げる犬、向こう側にある大きな古時計、 静かに穏やかに偲ぶ思いがつたわってきそうです。フォスターの「老犬トレイ」はアメリカ民謡「大きな古時計」の持つほのぼのとした曲想から得たような気がして来ます。(もちろん憶測と独断ですが)

 3番の歌詞、「われを眺むるや汝(なれ)は 語りえねど むつまじきは われらが友がき」の気持ちはよくわかります。

 子供達が幼い頃に我が家にもスピッツと柴犬の雑種犬がやって来ました。出入りのお米やさんに子犬を頼んでいたのです。子犬が来る前には家族で名前をあれこれ考えていたのですが、どれもピンとこなく、やって来た子犬の顔を見るなり夫が「チロだ」と言った途端みんなが納得しました。

 チロは人間の言葉が分かるんだねと幼い息子が言うくらい、大人になったチロは家族のみんなに寄り添っていました。お正月、地元の神社に初詣へ行く時チロも一緒に行きました。誰かが電柱の陰に隠れると、先に行くチロが後ろを振り向き不安そうに待ちます。隠れた顔が出ると安心してまた歩き出します。家族がそれを面白がって、変わりばんこに隠れるとその都度チロは振り向いて待ちました。足音の響きが違うのでしょうか、一人が隠れると直ぐに立ち止まっていました。

 17年生きました。当時TVで宜保愛子さんの番組を見ていました。そこでペットの供養の仕方を話していました。玄関のたたきにお水とお線香1本、先を少し折って35日(?)間毎日供養しました。すると不思議なことに供養明けの晩にチロの夢を見ました。

 チロその頭どうしたの?チロの頭はまるでスターウオーズのヨーダの頭でした。チロが犬のお坊さんになったと思った途端、目が覚めました。

 

投稿: konoha | 2019年10月10日 (木) 11時02分

「老犬トレイ」幼い頃から大の犬好きな私には、優しくも切なさを秘めたフォスターのこのメロディを聴きながら上記の解説を読んでいると、昔を思い出して胸が熱くなってしまいます!

私が5才のころ、ある日突然どこからともなく我が家に転がりこんで居ついてしまった年老いた秋田犬がいました。その犬の名前は名無しの権兵衛だからと言って、父が「ゴン」にしました。数年後のある日、ゴンは家の近くを長姉と散歩中に老衰で死にました。
後年に姉から詳しく聞いた話によると、散歩中のゴンは突然足を止めてお座りをすると一瞬遠声を上げてその場に横たわり、そのまま眠るように息を引き取ったそうです。この信じられない出来事に中学生の姉はただ茫然としたまましばらくはゴンのそばを離れられずにいたそうで、その場でいつまでも泣いている姉を見ていたご近所の人たちが、ゴンを抱えて姉とともに、我が家まで連れて行ってもらったと話していました。
家に帰ってきた動かないゴンの姿を見た幼なかった私も信じられず、ただ茫然としていた憶えがあります。

私たち夫婦二人とも大の犬好きですが、妻も幼いころに飼っていた犬との辛い別れを経験したことがあるため、これまでも犬を飼うことができませんでした。
私は12年前のテレビドラマ、鳴海璃子主演「介助犬ムサシ~学校へ行こう」のラスト場面で初めて知ったのですが、ノルウエーのブリーダーが、犬の飼い手に渡している(犬から主人への11のお願い)が元になったと云われる「犬の十戒」というその言葉の文字とその語り部を聴いた時、とても感動した覚えがあります。

その「犬の十戒」の中から~10:最後のその時まで一緒に側にいて欲しいです。このようなことは言わないで下さい、「もう見てはいられない」「居たたまれない」などと。あなたが側にいてくれるから最後の日も安らかに逝けるのですから。
「犬からご主人の11のお願い」~忘れないでください「私はあなたを一番愛しているのです」

蛇足に記してある >愛犬を亡くして間もない人は、胸が痛くなり、ときには涙を流すでしょうし、別れてから時間が経った人は、ともに暮らしていた頃の想い出を蘇らせることでしょう。私にはこの言葉がずしりと胸に響きます。

投稿: 芳勝 | 2019年10月11日 (金) 00時07分

konoha 様

チロとの思い出を、何気なくさらっと感情を抑えて書かれていますが、それだけに余計、家族の一員としてのチロに対する想いが深く伝わってきます。

私が特に動物好きというわけではありませんが、
犬好きには、たまらないコメントですね!

投稿: あこがれ | 2019年10月11日 (金) 06時45分

あこがれさま
 ありがとうございます。猫でも犬でも、動物園のゴリラでも話しかけてくるような目はたまりませんね。

投稿: konoha | 2019年10月11日 (金) 13時23分

生まれたばかりのコリーを美大時代の彼女からもらいました。2年後わたしは他の街へ就職したため、お袋が可愛がり、街と海辺の家の行ったり来たりいつも同行。休暇で帰ると、元の主を存分なめて迎えてくれたんです。”安らかに逝くまであなたの分身として家族の一員だったのよ”と、母が伝えてくれました。それも早40年ほど前。いずれ天国でめぐり会えるでしょう。

追伸。先日偶然のように”女のブルース”を拝聴。学生時代仲間の藤圭子論を思い出しました。綴ったその所感がどこかに消えて、投稿可にしていただいた数年ぶりの出陣が中に浮いていましたが、この犬物語に出会い幸運です。

投稿: minatoya | 2019年10月12日 (土) 20時01分

家族みんなから愛される「人」ではない家族。
  それは・・・・『犬』
人より短命なので、殆どの人は自分の愛犬の死に目に会い、悲しみに暮れます。
 一月ばかり前のこと、お付き合いしているバツイチ女性(プラトニックです!)の愛犬、柴犬の『◎◎』が逝きました。
 それを電話で聞いた瞬間、私の眼から思わず大粒の涙が溢れて止まりませんでした。
 私は既婚だし彼女は家族と暮らしているので、彼女の家には上がった事もなく、ワンコとは写真でだけしか逢っていません。
 おまけに老犬で、目も悪くなったり、後ろ足が悪くなったりで外にも出られなくなっていたのです。
 一度でいいから彼女と◎◎と3人で河原や浜辺などをお散歩したいと言っていたのに。
 でも、苦しまずに安らかな死だったとのこと、◎◎の冥福を祈りました。
 あれからひと月経つのに、彼女と逢った時に◎◎の話になると、涙が滲んできて言葉が途切れてしまいます。
 これまで自分の親族はともかく、知人が亡くなった時など、悲しみは感じても涙を流したことは無かったのに、他人?のワンコの死で泣くなんて歳の所為かなとも思いました。
 私のスマホには3年前に彼女が撮った、カメラ目線でちょこんと座っている、可愛いマメの写真が入っています。

投稿: けいちゃん | 2019年10月14日 (月) 13時36分

フォスターの曲の中でもあまりポピュラーでないこの曲ですが、大好きな曲の一つです。よく取り上げてくださったと感謝しています。作者はだれか忘れてしまいましたが、ある推理小説で、探偵役の刑事が、この歌を口ずさむ癖があるという文章に遭遇した時も、ああこの歌を知ってる人がいる、といたく感動したものでした。ちなみに私が知っているのは、緒園涼子さんの歌詞の方です。学校で習ったのではありません。もう失くしてしまったので定かではありませんが、確か音楽之友社の「世界名曲全集」?というシリーズ物の一冊に入っていました。60年ほど前のことです。

投稿: solong | 2019年12月 9日 (月) 19時33分

 メロディーはいつとなく耳に残っていましたが、歌詞を読むのは初めてで、感動しています。繰り返しの部分から、老犬への愛情の歌と思っていましたが、よく聞いていると、むしろ主題は親しい顔はみんないなくなった、という寂寥感です。歌い出しの:
   The morn of life is past, And evening comes at last
は、「オールド・ブラック・ジョー」の: 
   Gone are the days When my heart was young and gay
を連想させます。人生の夕方の感慨はよく似ています。どちらの歌もフォスター20歳台での作品ということで想像力に驚きます。老いた黒人ジョーは友だちがみんなあの世へ行き、3番では子供たちにも先立たれた、もう私には何もない、優しい声の呼ぶところへ行こう、と呟く。それに比べれば老犬トレイは忠実で、これ以上の友だちを見つけることはもうなかろうと思うほど優しい。けれどもよく聞くと、黒人ジョー老人が子供たちにまで先立たれたように、老犬は遠からずいなくなる、そのあとに予想される寂しさをひしひしと噛みしめています。
konoha 様 チロちゃんと名前だけの縁ですが、google で「チロとともに−死刑囚小泉毅の動物愛の物語」をごらんください。 

投稿: dorule | 2020年2月 1日 (土) 11時36分

doruleさま
 パソコンは便利ですね。知りたい情報がすぐに手に入ります。
https://animalnetwork.jimdofree.com/愛犬チロ事件に関する活動/wowoを閲覧しました。ペットの問題は常々思っている事柄です。小泉毅氏及び死刑という法律についてはとてもデリケートな問題提起ですね。いろいろと考えさせられました。ご紹介ありがとうございます。

投稿: konoha | 2020年2月 1日 (土) 19時44分

konoha様
 余計なことかと思いながらのサジェストを、早速生かしていただいてありがとうございます。動物権利を真面目に考えようとしない日本という国に対する小泉毅さんの文字通り生命を賭けた激烈な告発に、そのむかし国粋少年だった私などは胸を抉られる思いを禁じ得ません。

投稿: dorule | 2020年2月 6日 (木) 20時59分

 捨て犬の殺傷処分の問題についてyahoo!JAPANのネットニュースで読んだ記事ですが、ご紹介いたします。すでに読んだ方もいられると思いましたが、まだでしたらどうぞお読みください。とてもいい話です。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200206-00000011-sasahi-life

投稿: konoha | 2020年2月 9日 (日) 09時34分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 青年の樹 | トップページ | チャペルに続く白い道 »