古いオルガン
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞:梶本初代、作曲:丘 光世、唄:岡本敦郎
1 町のはずれの 道具屋に 2 町のはずれの 道具屋に 3 町のはずれの 道具屋に |
(上の絵は2020年の年賀状用にPhotoshopで描いたものです)。
《蛇足》 昭和29年(1954)、NHKラジオ歌謡として放送されました。
ラジオ歌謡には、童謡のジャンルに属するものがいくつかありますが、これもその1つ。
日本にオルガンが入ってきたのは明治初期です。音楽取調掛が音楽教育用の楽器について模索していたとき、御雇外国人のアメリカ人、L.W.メーソンが持参したオルガンの教育効果が高いとわかりました。
そこで、明治14年(1881)3月、メーソンからオルガンを2台買い上げ、それをもとに国産オルガンの試作を始めました。その数年後から、民間の工場がオルガンの生産に乗り出しました。
オルガンは全国の教育機関に急速に普及し、明治末期には、全国の小学校3万3000校の8割5分が、オルガンを備えていたそうです。(以上赤井励著『オルガンの文化史』〈青弓社刊〉より)
しかし、オルガンは高価だったため、一般家庭にまではなかなか行き渡りませんでした。戦後に至っても、ピアノがあるのは大金持ち、オルガンは次のランクの金持ち、というのが実状だったようです。
ピアノ買い取り業者が、弾き手がいなくなったピアノを家庭から買い集めているといった現状からみると、今昔の感があります。
この歌が作られた昭和29年頃は、まだ敗戦の影が消えておらず、一般家庭の多くが食うことを優先しなければならない時代でした。この歌の女の子も、新品は無理でも、セコハンなら買ってもらえるかもしれないと思って、毎日見に来ていたのでしょう。
歌詞は、とくに悲しくはありませんが、メロディは短調で、もの悲しく響きます。『赤い靴』『十五夜お月さん』など、戦前にいくつも作られた”切ない・寂しい系”童謡の末裔ということができます。
調べたわけではありませんが、高度経済成長が始まった昭和30年代から、この系列に属する童謡はほとんど作られなくなり、快活で楽しい作品が主流を占めるようになりました。
悲しく切ない歌は子どもの情操によくないと考える人が増えたのかもしれませんが、明るい一辺倒では感性に深みが出ません。子どもも、たまには、歌で悲しさ・さみしさを味わってみたほうがいいと思います。
(二木紘三)
コメント
岡本敦郎さんがこの歌を歌っていらっしゃるのは聴いたことがありません。ちょっと地味だからでしょうか。
投稿: hurry | 2020年1月 1日 (水) 04時49分
楽器の町で生まれたので戦後すぐ、近くの家でオルガンを買って近所の子供に好きな時に弾かせてくれました。楽譜が読めないので片手で弾き良い歌を弾いて歌っていました。多分,黒腱だけで浜千鳥を弾いていたと思います。昭和48年ごろ500円で古いオルガンを買いました。1年もしないうちに音が出なくなって捨てました。。オルガンは懐かしい楽器です。
投稿: ハコベの花 | 2020年1月 1日 (水) 11時42分
寂しい歌詞とメロディーですね。
29年のラジオ歌謡は50曲あったようなので、相変わらず数日間の放送でしたね。
オルガンではありませんが、小学校の教材でハーモニカが必要になりました。
母が「ヤマハのハーモニカを買いなさい」と、お金を渡して呉れましたが、
子供心に家は貧しいのだからと、少し安いのを買いました。
母が「ヤマハのを買いと言ったのに・・」と言ったのを今でも覚えています。
知らない作者なので調べていたら、串本中学校に辿り着きました。
昭和29年 校歌制定「古いオルガン」作詞 梶本初代 : 作曲 打垣内正
http://kushimoto-ed.net/~kushimoto-jh/data/history.pdf
校歌のページの歌詞は ♪牟婁の海 わきたつ潮・・
http://www.eonet.ne.jp/~h-sixty/koukahm.html
投稿: なち | 2020年1月 1日 (水) 12時44分
「古いオルガン」年賀状用にphotoshopで見事に描かれた上のこの絵を見た瞬間、思わず強く感情移入された自分がいます!
店のウインドに手を差し伸べて古いオルガンをじっと見つめている、ランドセルを背負ったその少女の後ろ姿に、時代こそ違えど、欲しいものが何一つ買えなかった幼少の頃の自分を、ふと想い出してしまいました。
何不自由のない暮らしが叶ってから長年が過ぎた今、新年を迎えるにあたり、心新たにするための、とても大切な素晴らしいものをこの絵に見たような、私は今そんな気がしています。
投稿: 芳勝 | 2020年1月 1日 (水) 14時40分
二木先生、皆様新年おめでとうございます。
小学校では各クラスにオルガンがありました。高学年になると音楽室でピアノでしたね。個人の家でオルガンを見た初めての思い出があります。五、六年生の頃です。とても仲の良い友達が出来ました。彼女とはそれぞれの毎月のおこずかいで『世界名作全集』(講談社)を一冊ずつ買って、お互いに読み終わったら交換して読んでいました。
池袋の今は無い書店「三省堂」で本を買った後、必ず彼女の家に寄りました。彼女の部屋には古いオルガンがありました。小学低学年の時、教室にオルガンがありましたが、勝手に触ってはいけないことになっていました。彼女に頼んで弾かせてもらいました。別に曲を演奏するということではなく、ペダルを踏むとペダルの軋む音と同時に一本指でキーを押すと「フワ~」という感覚と同時に柔らかい音を出しました。そして意外と重たいなと思いました。
『古い顔』の「蛇足」に『世界名作全集』の本を開いた背表紙の写真が記載されています。とても懐かしくてものすごく郷愁を覚えました。のちに『シェクスピア」は福田恒存訳の全集を購入しました。本を集め出したのはこの全集がきっかけです。全集が1冊ずつ本棚に並んで行くのが小学生ながら嬉しかったですね。
今年もよろしくお願い致します。

投稿: konoha | 2020年1月 3日 (金) 05時37分
年賀状用にphotoshopで描かれた古いオルガン素敵ですね。年賀状を貰われた方の笑顔が目に浮かびます。
昭和30年、私は小学校5年生。平家の落人の伝説が残る我が村の全校生徒は約180名弱。尋常小学校の看板が校長室にありました。オルガンは鍵のかかった音楽室に1台のみ。5年生になって音楽の先生の弾くオルガンで童謡を習いました。
丁度 隣町でNHK子供のど自慢大会予選があり近郊の小中学校から数十人集まりました。私はS小学校代表として歌の上手な6年生のSさんと二人参加しました。その頃 教科書で習った「てるてる坊主」を歌うことになり、オルガンで数回練習しました。
私の番は2番、会場内のお客様の多さに圧倒され完全にあがっていました。「テルテル坊主」と言ったら、いきなりオルガンの音でなく、「ポンポン♬」という音が聞こえビックリしました。ピアノの音でした。出だしがわからず「てるてる ぼうずう~ てるぼうずう~」と一小節遅れて歌い出しました。
親切なアナウンサーは「落ち着いて。ユックリ」とやり直させてくれました。田舎者の私は益々上がり、しかも「てるてる ぼうず」の高い「ドドドド ドシ」を緊張して「ミミミミ ミレ」で歌い出し喉声になってしまいました・・。その内「晴れたら 金の鈴あげよ」を「晴れたら 銀の鈴あげよ」と歌ってしまったようです。
翌日の大会ではSさんが見事に合格の鐘を鳴らしました。
40年前 その小学校も統合で無くなり、オルガンも何処に行ったかわかりません。
投稿: けん | 2020年1月 4日 (土) 22時19分
この歌は、初めて聴くように思います。
歌詞を眺めていますと、町のはずれの道具屋に置かれている古いオルガンに対する、女の子の熱い思いがにじみ出ていて、戦後の、貧しかった子供の頃の世界が甦ります。
二木先生の年賀状2020の絵の中に描かれている、ウクレレ(ギター?)やラジオや蓄音機が、可愛いですね。
投稿: yasushi | 2020年1月 5日 (日) 11時52分
yasushiさま、私は壁に貼ってあるカルピスのポスターが最初に目に入りました。昭和は二つ前の時代になってしまったのですね。
投稿: konoha | 2020年1月 5日 (日) 13時37分
「古いオルガン」どこか寂し気なこの曲が気にいってしまい、何度も繰り返し聴いていますが、上の絵を見る度にずっと気になっていたのは、お店の中央のカウンターに座っておられる髭を生やしたご主人が、勝手ながら二木先生の10年後のお姿に見えてしまうのは私だけでしょうか?何故かそう思えて仕方ありません!
投稿: 芳勝 | 2020年1月 5日 (日) 17時08分
この絵の少女を眺めながら、そういえば僕も小学校の帰り道、お店の中を覗くの好きだったなぁ、と思い出しました。
帰り道には通りから覗ける鍛冶屋さんがありました。炉にふいごで空気を送っている作業を真っ赤に焼けた鉄が取り出されるまであきず眺めていました。鉄が取り出されてハンマーで叩かれ始めるとやっと安堵して帰ることができました。
その他和傘の傘張りの店、今でも和傘が欲しいなぁ、と思います。それから下駄屋さん、壁いっぱいにたくさんの下駄が立てかけてありました。部屋の戸をすべて開け放たれて畳の上で鯉のぼりを製作している家もありました。
そんな大人の仕事場を見ながら僕も将来は職人になりたい、と思っていました。僕はとても人に号令をかけることができるタイプではないと早くから気づいていましたので、一人で仕事ができる職人になるしかない、と思っていました。
子供たちはこうして少しずつ大人の世界を垣間見て将来の夢と希望を膨らませていくのでしょうね。子供って本当に素晴らしいですね。
子供時代、もう遠く過ぎ去った日々になってしまいました。
懐かしいです。今月、71才になります。
投稿: yoko | 2020年1月 5日 (日) 20時31分
この曲は初めて聴きます。しっとりとしていてもの静かでどこか知らない道を歩いているようで心に染み入ります。
以前、蓄音機・SP盤(流行歌)を求め、骨董屋通いに熱中していたころを思い出しています。
店内には二木先生の年賀状の絵のようでオルガンの音色が聞こえてきそうで懐かしく想い出しています。
明日からは、五時四十分起床で宅配業務が始まります。
今年は傘寿を迎えますが、健康に配慮し特に安全運転で前進したいと思っています。
投稿: 一章 | 2020年1月 5日 (日) 22時54分
「古いオルガン」についての、konoha様のコメント(’20-1-5)、それに続く、他の方々のコメントも、興味深く拝読しました。
同じ絵を見ても、受け留め方は、人さまざまということでしょうね。
”交流掲示板”にも、投稿させて頂きました。よろしかったら、ご覧ください。
投稿: yasushi | 2020年1月 6日 (月) 14時41分
芳勝さま Konohaさま
交流掲示板をご覧ください。
投稿: 一章 | 2020年1月11日 (土) 10時35分
二木先生
大変ご無沙汰致しました。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
うた物語 ファンの皆様
本年も相変わらずのお付き合いをどうぞよろしくお願い致します。
‥‥★‥‥‥‥‥★‥‥‥‥‥★‥‥‥‥‥★‥‥
この《 古いオルガン 》がアップされたての、大晦日から元旦にかけて、未だどなたもコメントを寄せられていない時にこの歌詞を見ました。
二木先生は『歌詞は、とくに悲しくはありませんが・・・・・』と、蛇足に述べられていますがとんでもありません。
悲しいです!寂しいです!そして切ないですよ!!
私は涙ぐみながらこのブログを閉じました。
とてもコメント出来なかったからです。
===うた子の独り言===
♪♪♪ラ・ラ・ラ ル~ラ・ラ と歌いながら、今日も時代屋のお店を覗くうた子。
オルガン まだ有るかな?
あ! お店のおじさんがオルガン弾いてる!
いいなぁ♪ お家に欲しいなぁ♪
私もあんな風に弾きたいなあ♪♪♪
お母さんにお願いしてみようかな。 でもお家は貧乏だもんね。 とてもオルガンを買うなんて・・・・・
でも、もし買えたら一所懸命練習して・・・
上手になりたいな・・・・・
古くても高いだろうなあ・・
―――別の日―――
『お母さん!あたしが欲しいって言ったのはあのオルガンよ!
でもね、あたしが大きくなってお母さんみたいに働けるようになるまで我慢するからね!』
お母さんにはそう言ったけど・・・・・早く大きくなりたい!!!
‥‥☆‥‥‥‥‥☆‥‥‥‥‥☆‥‥‥‥‥☆‥‥
うた子よ! 頑張れ!!
投稿: けい。 | 2020年1月20日 (月) 14時28分