旅人の唄
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作詞:野口雨情、作曲:中山晋平、唄:佐藤千夜子
1 山は高いし 野はただ広し 2 乾く暇なく 涙は落ちて 3 今日も夕日の 落ちゆく先は 4 水の流れよ 浮き寝の鳥よ 5 明日(あす)も夕日の 落ちゆく先は |
《蛇足》 大正12年(1923)発表。歌詞は、翌年1月13日に黒潮社から発行された野口雨情の新民謡集『極楽とんぼ』に、『船頭小唄』などとともに収録されています。
わが国近代劇の始祖・島村抱月主宰の劇団「文芸協会」は、大正2年(1913)に解散しました。その直後、同劇団の若手俳優たちが「舞台協会」という劇団を結成、大正12年に「文芸協会」の最大の当たり狂言、トルストイの『復活』を上演することになりました。
その舞台の劇中歌として作られたのが、この『旅人の唄』です。
作曲は、「文芸協会」の『復活』で松井須磨子が歌って大流行した『カチューシャの唄』の作曲者・中山晋平。この歌も大ヒットし、とくに女学生たちに愛唱されたそうです。
レコード化は昭和3年(1928)年で、佐藤千夜子が歌って日本ビクターから12月に発売されました。
大正から昭和初期にかけて、この歌のようにさすらいをテーマとした作品がいくつも作られました。
『浮草の旅』(鳥取春陽)、『さすらいの唄』(松井須磨子)、『流浪の旅』(寺井金春/東海林太郎)、『国境の町』(東海林太郎)など。
こうした歌が作られた背景には、中国やシベリア、さらには南方へと勢力を伸ばしていった日本の帝国主義と、国内における個人的または社会的な閉塞状況との重なりがあると思われます。
さすらい、流浪、放浪、漂泊、彷徨――これらの言葉のもつ一種の寂寞感、うらぶれ感が若者たちの胸にロマンチックに響きます。しかし、その実態は悲惨の連続。
「青年よ、荒野を目指せ」といった言葉が流行ったときもありましたが、その荒野は、精神世界の未開拓分野と考えたほうがいいかもしれません。
(二木紘三)
コメント
この歌は今の生活をしている人間には理解しにくい所があります。何もかもテレビの画面で分かってしまいますからね。たとえ荒野に放り出されても、空からヘリコプターがやってくれば目指す方向はすぐわかります。
精神的な行き詰まりや金銭の行き詰まりなら、相談に乗ってくれるところもあります。しかし戦争前の世界観なら、この歌は理解することが出来ますね。皆が同じ方向を向かないといけない社会では自分で生きていく方向を定めることが出来ません。尤も、今、現実には一党独裁と言うより夫婦独裁の様な政治の現状に為すスベもない国民にはこの歌が理解できるかもしれません。
投稿: ハコベの花 | 2020年1月26日 (日) 17時32分
「旅人の唄」ここで初めて知るこの唄の歌詞から、私が率直に想像するのは、心がしおれた人間のあてもなくさまよう、そんな人々の光景です!
『蛇足』の解説からすると、私のコメント内容は自分の見識のなさを暴露してしまいますが、この唄を聴いていると、私の人生にとって最も大切なある一曲の唄を想い出します。
『落日』
うらぶれこの身に、吹く風悲し 金もなくした、恋もなくした
明日の行方が、わからないから ままよ死のうと、思ったまでよ
生まれた時からこの世のつらさ 知っているよで何も知らずに
落ちて初めて 痛さを知って 恋にすがって また傷ついた
それでもこの身を つつんでくれる 赤い夕陽に 胸をあたため
どうせ死ぬなら 死ぬ気で生きて 生きて見せると 自分に云った
私事で大変恐縮ですが、私は22才の時、ある事情により絶望の縁にたたされたことが一度だけあります。
自分ではどうしようもない苦しい日々を過ごしていたそんな時に、ある日ふとしたことがきっかけで、私は偶然に某企業の経営者に出会いました。後に私の生涯の恩人となるその方は、見ず知らずの私のこれまで経緯や苦しい胸の内など、私の話を親身になって何時間も聞いてくださいました。
そして後日、その方はご自身の知り合いでもある、大手企業の、同伴による社長直接面談を取り計らってくれた上に、その場での即決採用を取り付け、私の身元保証人にもなってくださいました。その企業に就職できたおかげで、それからの私の人生が大きく変わりました。
そして、私がその会社へ初出社する前日、その方はご自宅へ私を招いてくださり、奥様の手料理で就職祝いを開いてくださいました。そして、お酒を飲みながらご主人がご自分のアコーデオンを弾きながら、私のためにあえて教えてくださった唄が、この『落日』でした。今でも時々口ずさむこの唄は、私の教訓の唄でもあり、生涯忘れられない大切な唄でもあります。
あれから43年が経ちましたが、今現在も、このご縁と云うものの有難さを感じると同時に、またその不思議さを感じています。
投稿: 芳勝 | 2020年1月30日 (木) 23時29分
私は床の上に靴の空き箱を置きその上にパソコンをのせ、あぐらをかいた姿勢で見ているのが日常です。疲れるとそのままゴロリと床に横になりそのまま眠ってしまうこともよくあります。
そんなある日、パソコンを操作しながら、ふと最近お母さんに会ってないなぁ、とか、最近どうされているんだろうか・・・などと思いが巡りました。そういえば横浜に住んでいらしたこともあった、いまはどちらに住んでいらっしゃるのだろう・・・などと。
なぜか過去のことがなかなか思い出されません。しばらくじっと真面目に考えていて徐々に思い出しました。そうだ、お母さんもう10年前に亡くなったんだ、お葬式もしたんだ。
こんなボケは寝起き前の布団の中で朦朧としているときはよくあることでしたが日中それもパソコンの操作中に生じるとは驚きました。
”青年は荒野を目指す”と言いますが、今の私(老人)は"
恋しきものは 故郷(こきょう)の空よ"というこの歌の心境に共感します。
認知症かな?という不安もありますが・・・
投稿: yoko | 2020年1月31日 (金) 09時33分
芳勝さんが絶望の縁に立たされていた時、偶然に出会われた某企業の経営者。22歳の若者に対する経営者の親身の対応。
その経営者の言葉を信じ、芳勝さんは大手企業の社長に面談、即採用、身元保証人・・生涯の恩人として交流。
素晴らしいお話ですね。感動しました。
また「人生山あり、谷あり」、「苦は楽の種、楽は苦の種」、「人間到る処清山あり」の言葉を思い出しました。
芳勝さんに手を差し伸べられた経営者は、若い頃 芳勝さんと同じような絶望の縁に立たれ、先人に助けられ、その恩返しを22歳の若者にされていたかも?と勝手に考えました。
投稿: けん | 2020年1月31日 (金) 21時24分
芳勝さま、人はどのような時間の流れの中で導かれるようにして出会うべき人に出会うものなのですね。けんさまがコメントされていられるように、その方は真っ直ぐな青年の心情にご自身を重ねられていたのでしょう。芳勝さまにとって本当に人生の分岐点だったのですね。そこに摩訶不思議さを覚えます。ご家族の暖かさに育まれてきて、何事にも真摯に向き合う芳勝さまの気質だからでしょうね。
この歌は初めてです。
歌詞と「蛇足」から「大陸浪人」というと言葉を思い出しました。you tubeで佐藤千夜子が歌っているのを開けてみました。https://www.youtube.com/watch?v=Jy9Non7fuQs 「蛇足」の解説で『復活』の劇中歌ということでしたので女性に歌わせたのかなと思いました。
でも歌詞の内容と佐藤千夜子の歌声とがしっくりいきませんでした。どうしても大陸浪人が気になりwikipediaで検索してみると様々な人々の名前が記され、中には見覚えのある名前もありました。近衛文麿元総理大臣の弟、近衛篤麿や甘粕正彦の名前が挙がっていました。宮崎滔天は柳原白蓮の夫宮崎龍介の父です。井深彦三郎はハンセン病患者の救済に尽くした井深八重の父です。あのロッキード事件に名前が挙がった児玉誉士夫などでした。児玉誉士夫は当時、かって大陸浪人だったと週刊誌に書かれていました。
芳勝さまのコメントでのご紹介「落日」をyou tubeで聞いてみました。
https://www.youtube.com/watch?v=cBLpgRh4XmU小林旭
https://www.youtube.com/watch?v=NiE356mgKvQ 清水節子
「旅人の唄」、「落日」は蛇足にありますように「さすらい、流浪、放浪、漂泊、彷徨――これらの言葉のもつ一種の寂寞感、うらぶれ感」がありますね。
投稿: konoha | 2020年2月 1日 (土) 11時06分