ジョスランの子守歌
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞・作曲:Benjamin L.P. Godard、日本語詞:近藤朔風
1 むごきさだめ 身に天降(あも)りて 2 愛のつばさに おおわれつ Berceuse de Jocelyn Couchés dans cet asile Nous reposons tous deux Oh ! Ne t'éveille pas encore Sous l'aile du Seigneur Nous avons vu les jours |
《蛇足》 フランスの作曲家、バンジャマン・ルイ・ポール・ゴダール(Benjamin Louis Paul Godard 1849–1895)のオペラ『ジョスラン(Jocelyn)』)で歌われるアリアの1つ。
『ジョスラン』は、1888年2月25日にブリュッセルで初演されましたが、現代ではほとんど上演されず、『ジョスラン子守歌(Berceuse de Jocelyn)』だけが歌われたり、演奏されたりします。
『ジョスラン』の舞台は革命期のフランス。フランス革命では、アンシャン・レジーム(旧体制)の時代に特権を享受していた聖職者や貴族たちが激しく弾圧されました。
さらに、啓蒙主義の「理性による思考」が過剰に重視され、それに反すると目された文物は排斥されました。カトリックの典礼やしきたりは非理性的な習俗とされ、フランス全土でミサは禁止、教会や僧院は閉鎖、略奪、破壊の憂き目に遭いました。多くの聖職者が殺され、あるいは追放されました。
有名なモンサン・ミッシェルの修道院は監獄に変わり、修道院に戻ったのは1865年のことです。
そうした社会情勢のなかで、聖職についていたジョスランは山岳地帯に逃れ、数奇な運命をたどります。資料が見つからなかったので、正確な筋書きはわかりません。
上の日本語詞で「むごきさだめ」「のろわれの夜」「うれい」など、子守歌にはふさわしくない言葉が出てくるのは、ジョスランの悲惨な運命を反映したものなのでしょう。
メロディは流麗で、「癒やしの音楽」といったアルバムによく収録されます。
追記:
原詞の正確な訳については、下記、柳下要司郎さんのコメントをお読みください。大東文化大学・山口謠司准教授によるものです。上記原詞の3聯目の次に2ヴァース入ったヴァージョンのあることや、「夢のまきまき」の解釈についても述べられています。
(二木紘三)
コメント
♪♪♪ 又も亡き母の教え賜いし歌!
昭和15年頃、小学校二年生位の時でしょうか、この訳詩通りかどうかは分かりませんが、母は歌ってくれました。
でも私はこの歌は何か好きにはなれずに、『ジョスラン』の名前は記憶に残っていますが、歌は嫌だった覚えが有ります。
今、改めて聴きますと、最初のフレーズなんか良いのになと思うのに、何だったのでしょうか??
理由は今となっては分かりません。・・・が、何か曲調が暗い感じがしていたのでしょうかとも思います。
でも、こんな80年も前の事を思い出させてくれるジョスランと二木先生に感謝します♪♪♪
投稿: けい。 | 2020年5月 9日 (土) 22時14分
YouTubeで聴きました。日本語でも、藤原義江、由利あけみ、松原操など錚々たる歌手が吹き込んでいるようです。また、各種楽器の演奏もあります。
とてもきれいな曲なのですが、歌うのは専門家でないとちょっと難しいかなと思いました。
投稿: Hurry | 2020年5月 9日 (土) 22時25分
二木先生、間をおかずの投稿ご容赦下さい。
ジョスランの子守唄 先生の人柄の伝わる優しい演奏に癒されています。
私にとっては実にタイムリーなアップでした。
訳あって入院生活、差し入れのCDにこの曲があり、7番目のジョスランの子守唄 好きな曲ですとの添え書き。チェロ演奏を毎日聴いてます。赤とんぼや浜辺の歌、鳥の歌
も入ってます。
少し長いが東日本大震災にまつわるチェリスト、コチさん他の活動の紹介をさせて下さい。
ヴラダン・コチ 震災被災地支援コンサート
(2012年3月24日、25日、27日)
■開催主旨
大津波の映像が世界を震撼させて間もない2011年4月、アムネスティ・インターナショナル日本の招きでチェコの世界的チェリスト、ヴラダン・コチさんが来日し、各地でチャリティー・コンサートに出演されました。その折、被災地の惨状を知ったコチさんは、ご自身もかつて過去の共産党政権下で兵役を拒否して投獄され、世界各地から寄せられた支援に力づけられた体験から、被災者の苦しみを他人事とは思えず、彼らを励ますために演奏を届けたいと希望されました。そのお申し出を被災地にお伝えすると、驚きと大きな期待が寄せられました。
大震災から1年となるこの3月にお嬢さんのルツィエさん(ヴァイオリニスト)を伴って、コチさんの再度の来日が実現し、仙台、七ヶ浜、石巻、錦織、郡山の5か所でコンサートを開催することとなりました。この東北を巡る演奏会に必要な経費は逗子、横浜、東京でのコンサートの収益を充てさせていただきます。一人でも多くの方が支援の輪に加わって下さり、“プラハからの希望の調べ”を被災地にお届けできればと願っています。皆さま、コチさんの友情と熱意溢れる素晴らしい演奏をお楽しみ下さい。そして大震災から1年となるこの3月にお嬢さんのルツィエさん(ヴァイオリニスト)を伴って、コチさんの再度の来日が実現し、仙台、七ヶ浜、石巻、錦織、郡山の5か所でコンサートを開催することとなりました。この東北を巡る演奏会に必要な経費は逗子、横浜、東京でのコンサートの収益を充てさせていただきます。一人でも多くの方が支援の輪に加わって下さり、“プラハからの希望の調べ”を被災地にお届けできればと願っています。
投稿: りんご | 2020年5月20日 (水) 06時51分
時代離れしたこんな歌が、なぜ今、載せられるの?と一瞬思いましたが、二木先生の深い考えからだと思い、静かに味わったしだいです。
私より7歳年上の二木先生の信念に、怠け者の私はいつも教えられています。自分に信念はあるのか、いや、ないこともないが、これではいけない・・などと。
<蛇足>によれば、モンサン ミッシエルがもとの修道院の姿にもどったのは1865年、つまりフランス革命の始まった1789年から76年後ということです。なんと長い歳月でしょう。
日本の明治維新は、いわゆる戊辰戦争は1868年から1869年ですから、革命・反革命の争いなんてフランスに比べれば、軽いものです。よくいえば日本人は物分りが早い、悪くいえば政治的信念がないということです。
そして革命というか社会の急激な変動というのは、どうしてもやりすぎちゃう。そのため革命をなした政権の側はそれを隠蔽したり、つじつまあわせに走ったりしてしまう。見苦しいです。
この曲は静かなメロディーのもとで子守唄に託しながら、いわゆる性急な革命の危険さ、愚かさを教えているように思います。
投稿: 越村 南 | 2020年5月26日 (火) 23時43分
うれしいですね。この歌は、多分そのうち取り上げてくださると思っていました。二木先生ありがとうございます。
私にとって、この歌と切っても切れない関係にある映画監督・大林宣彦さんが2020年4月に亡くなって、またしきりにこの歌を思い出していました。
私がこの歌を知ったのは、大林監督の新・尾道三部作と言われる作品の一つ、『あの、夏の日~とんでろ、じいちゃん』(1999年)という傑作の中で、じつに印象的に使われているのを聞いたからでした。
作中、病気で屋敷の離れに隔離されている美少女に憧れる少年が、じつはじいちゃんの子ども時代にあたる主人公でした。
この美少女を演じたのが、NHKの朝ドラ『純情きらり』や大河ドラマ『篤姫』で名演技を評価された宮﨑あおいの10歳時代でした。
この病身の少女が、いつも離れで一人「ジョスランの子守唄」のレコードを聞いていて、少年にも聞かせてくれます。そして死ぬ間際に、草原で二人きりになり、少女は少年の前に立って静かに着物を脱いでいくのです。
(ほんとの〝蛇足〟ながら、これをもって私は宮﨑あおいちゃんの全裸ヌードを見た、と仲間には自慢しています)
2010年、この主役のじいちゃんを演じた小林桂樹が亡くなったとき、追悼の意味を込めてこの映画のこと、そしてこの歌のことが掲示板で話題になりました。
この古びたレコードで歌っている歌手はだれなのか、またフランス語原詩の本当の意味は?とか、日本語歌詞の「天降りて」は「あもりて」なのか「あふりて」なのか、そして映画のセリフにも出てくる「夢のまきまき」とは何なのか、といくつもやり取りが行き交って、楽しかったことを思い出します。
やはりこの歌の訳詞のことを調べられていたあるブロガーが、私たちのこのやり取りが載った掲示板を注目してくださり、ご自分のブログでその内容を紹介してくれたこともありました。
今見直したら、ちょっと参考になりそうなところがあるかもしれませんので、また改めてご紹介できたらと思います。
投稿: 柳下要司郎 | 2020年6月20日 (土) 09時05分
昨日に続き、失礼いたします。長くなって申し訳ありませんが、二木先生に促されましたので、お言葉に甘えて投稿させていただきます。
じつは、私は、出身高校(長野県立飯田高校)の同期生(昭和35年卒)を中心にネットで「SANGO-kai OPEN」という掲示板を運営していて、そこで10年まえに昨日書いたようなきっかけで「ジョスランの子守歌」をとりあげました。
そのとき私の仕事(出版)を通じて親しくしている著者の一人である大東文化大学准教授・山口謠司先生に、この歌の原詩を訳していただきました。
先生の専門は中国文献学ですが、フランスの大学院で比較文化とか言語学とかを勉強され、勉強だけかと思ったら知らないうちに美しきパリジェンヌとわりない仲になって、ついに結婚されたくらいですから、当然、フランス語も堪能です。
この邦訳を掲示板で紹介した後、あるウェブサイトでこの訳がそのまま紹介されました。先生に伺うと、まったくご存じないということで、いちおう「訳:大東文化大学准教授・山口謠司氏」とクレジットはあるので、「ま、いいでしょう」と笑っておられました。
昨日もお電話でお話しし、もし二木先生のこのブログでご希望があれば紹介していいかどうかとお聞きすると、このブログでなら光栄ですとお返事をいただきましたので、原詩の直訳を次に記しておきます。
少なくとも上記のサイトでなく、こちらがオリジナルであることだけは、念のためお断りしておきます。
1、神がお導きになった
この安らぎの場所に隠れて
不幸ばかりの永い夜を
二人で休もう
瞬く星が守ってくれる
ベールの下で眠ろう
あぁ、まだ起きないで
君の夢の中に現れる美しい天使が
長い金の糸を巻き取る間
御子よ、天使がそれを終えるまで
眠れ、眠れ、人生はほんのわずかのこと
マリアよ、人生を見守ってくれ
2、神の安らぎのもと、
雑踏の騒がしさから離れて
まるで聖なるしずくが
ゆっくりと流れるように
私たちは毎日を過ごした
助けを冀(こいねが)うこともなく
あぁ、まだ起きないで
君の夢の中に現れる美しい天使が
長い金の糸を巻き取る間
御子よ、天使がそれを終えるまで
眠れ、眠れ、人生はほんのわずかのこと
マリアよ、人生を見守ってくれ
山口先生は、日本語歌詞の「夢のまきまき」というのは、「天使が長い金の糸を巻き取る間」というのを近藤朔風が「夢のまきまき」と訳したのでしょうね、とおっしゃっていました。
なお、二木先生のブログでは省かれていますが、フランス語原詩の12行目、
Enfant, permette qu'il s'achève
のあとに、リタ・シュトライヒなどの歌唱では、日本語歌詞の「あゝ夢ぞいのち マリアよ守りませ」に該当する次の2行が歌われています。
山口先生に訳していただいた原詩もそうなっているようです。
Dors ! dors ! Le jour a peine a lui !
Vierge sainte, veillez sur lui !
13行目からの2番も同様に、新たな8行のあとに、「夢のまきまきに」から上の2行を含む6行がくり返されています。
長々と失礼いたしました。もしご興味があれば、「天降りて」の「あもりて」か「あふりて」の議論や、朔風訳と直訳の対比など、今は廃止されてしまった「Yahoo!ブログ」で紹介された 「SANGO-kai OPEN」の2010年 9月22日以降のやりとりをご覧いただければと存じます(下記)。
http://8132.teacup.com/mokifuku/bbs/6840
https://8132.teacup.com/mokifuku/bbs/6844
https://8132.teacup.com/mokifuku/bbs/6845
https://8132.teacup.com/mokifuku/bbs/6846
https://8132.teacup.com/mokifuku/bbs/6847
https://8132.teacup.com/mokifuku/bbs/6849
https://8132.teacup.com/mokifuku/bbs/6850
http://8132.teacup.com/mokifuku/bbs/6851
https://8132.teacup.com/mokifuku/bbs/6852
投稿: 柳下要司郎 | 2020年6月21日 (日) 15時34分