惚れた女が死んだ夜は
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞:みなみ大介、作曲:杉本真人、唄:小林 旭
1 なぐさめなんかは ほしくない わかりはしないさ この痛み 酒よ 酒よ 俺を泣かすなよ 2 甘えてすがった さみしがり いいやつばかりが 先にゆく 酒よ 酒よ 俺を泣かすなよ |
《蛇足》 平成9年(1977)6月21日発売。
この歌はタイトルがすべてですね。タイトルだけで、ガツンとくる。歌詞はほとんどいらないくらい。
惚れ抜いた女が死んだら、男がやることはひとつ。飲んで嘆いて、泣き、また飲んで、「なんで勝手に死んだんだ」と理不尽な恨み言をいい、また飲む。
この悲しみには、たとえ親友でも入り込む余地はない。悲嘆の淵に独りどっぷり身を沈めることだけが、男にとっての救いなのです。
タイトルは、「愛する女が死んだ夜は」とすることもできます。しかし、「愛する」は、少なくとも日本語では、抽象的で汎用性が高く、その分、印象が散漫になりがちです。日本人の多くが、思い人に対する話し言葉としては、あまり使わないのはこのため。ラブレター(死語ですかね)など、書き言葉ではよく使われますが。
遠い遠い若き日、「あなたを愛しています」と告白しようとしたものの、気恥ずかしくてどうしてもいえず、「好きです」でお茶を濁した人も多いのでは。それでも気持ちが通じることもありますが。
いっぽう、「惚れる」は対象がほとんど個人、それも異性であることが多い。俗語で、いささか品下る感じがしますが、アドレスがはっきりしているので、気持ちがストレートに伝わりやすい。
タイトルに「惚れた」を使ったことによって、死んだ女が男にとってどれほど大切な存在だったかが、ひしひしと伝わってきます。
静かに歌い、しみじみと味わいたい歌です。
(二木紘三)
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コメント
「惚れた女が死んだ夜は」私にはとても想い出深いこの唄がまさかここでアップされようとは思いもよらず、今私はとても驚いています!
この唄を初めて聴いたのは、私の一世一代の転換期のころで、毎日多忙を極め孤独心との格闘をするそんな日々の中で、唯一妻の存在だけが私の心の支えだった、私にとってちょうどそんなころでした。
私は独身のころ、幸運なことに愛しく感じれた女性との出逢いが幾度かありました。そんな忘れられない想い出は今も私の大切な宝物となっています。
そんな中で私が予期もせず偶然に巡り逢えた女性が現在の妻でした。私が一目惚れしたその瞬間からそして長年経った今でもその思いは毛頭変わることがありません。
わかりはしないさこの痛み どこへもやりばのない気持ち
いいやつばかりが先にゆく どうでもいいのが遺される・・・
上記二行の詩には、これから私が行く着く先の本心が語られているような、どうもそんな気がしてなりません。
ここ数年来私がよく思うことですが、もしも万が一妻を失ったら、私はいったいどんな気持ちになり、どんな日々を過ごすことになるのだろうか、そんなことを幾ら考えてみてもその先が私には思い浮かばずにそして想像すらできずにいます。
なので、これまで自由奔放で気ままに生きてきた、どうでもいい私の方が必ず先に逝きたいという思いがいつも募ります。
「惚れた女が死んだ夜は」淋しさ漂うこの曲を聴きながら私が強く抱くのは、詩に表現された悲痛極まるそんな体験だけは絶対にしないですむような、そんな自分の終焉を私はただ祈るばかりです。
投稿: 芳勝 | 2021年2月28日 (日) 15時36分
最愛の妻が逝ってから、早や2ヶ月が経ちました。
どこに行くにも、いつも二人一緒、まわりの人達からは 本当に仲の良い まるで鴛鴦夫婦だね・・と、言われながらの楽しい日々・いつも 明るくて、どんなときでも “ありがとう” を忘れない心優しい女性だったね~。
玄関を開けて、ただいま!と声を掛けても、しーんと静まりかえった室内からは、
パパ おかえり・・という、あの明るい貴女の声は、今はもう聞くことすらできない。
悲しみと寂寥感に打ちひしがれて、思わず玄関先で号泣したことも幾たびか・・
今更のごとく、これほどまでに愛し惚れつくしていたのか・・と、思い知らされ悲しみは倍加してくる。
『たとえ親友といえども、この悲しみに立ち入る余地はない・・・
悲嘆の池に独りどっぷり身を沈めることしかできない。』
悲しみは日を追うごとに深まり、飲めない酒を 無理にでも飲んで酔いつぶれてしまいたい!
そんな思いで、この歌を聞いている。
二人で歩いた数えきれない程の楽しい思い出は、やがて天国で再会できるとき迄、私のこの胸の中に大切にしまい込んでおきます。
いつの日か、悲しみの時を乗り越えて、楽しかった日々をしんみりと懐かしむことが
できれば、あるいは天国の貴女も微笑みながら見てくれるかな~
投稿: あこがれ | 2021年3月 1日 (月) 13時56分
あこがれ様には、最愛の奥様を亡くされたとのこと(あこがれ様の’21-3-1お便りから)、心からお悔やみ申し上げます。
最愛の奥様との思い出を胸に、日々を大事にお過ごされますよう、お祈りするばかりです。
私にとって、この歌は、初めて聴くように思います。
歌詞を眺めますと、”惚れた女”(奥様?)が亡くなった夜(当夜)の、連れ合いの男性の哀しみが、強いインパクトをもって表現されているように受け取れます。
出だしの♪なぐさめなんかは ほしくない…♪は、分かる気がします。
”惚れた女”との間には、他人(よそ)からは窺い知れない、いろいろな思い出があったのでしょうから、他人からどんな言葉を掛けられても、それを受け入れる余地もなく、ただ虚ろに耳に届くだけ、ということではないかと思うのです。
歌詞2番の、♪甘えてすがった さみしがり ふり向きゃいつでも そこにいた…♪も、私の場合に当てはまるようで、心に響きます。「おまえに」(岩谷時子 作詞、吉田正 作曲、フランク永井 唄 S47)の、♪そばにいてくれる だけでいい…♪に一脈通じる、さびしがり屋の男の心情を謳っているように思います。
投稿: yasushi | 2021年3月 2日 (火) 10時37分
最初この歌を聴いたのは、ユーチューブで作曲の杉本真人自身が歌った動画を見たときでした。その後、本来の小林旭が歌っているのを見ました。両方「ああいいなあ」と思いました。
小林旭は映画俳優らしく情感たっぷりに歌い上げました。杉本真人は声を抑えて、声をあまり張り上げずに、話すように悲しげに歌いました。
それぞれ持ち味が違って私の胸を打ちましたが、どちらかというと杉本の方が良いと思いました。その後私がカラオケで歌うときは杉本調で歌います。でも、この歌は情感を出すのが難しいですね。
杉本真人は歌うときは謙遜していますが、歌に味がありますね。
投稿: 吟二 | 2021年3月 2日 (火) 12時45分
「惚れた女が死んだ夜は」この唄がここにアップされてからというもの、私は23年前当時の自分の心境を思い出しながら、毎日この曲のページを開いてはこの切ないメロディにどっぷりと浸っています!
小林旭・杉本真人歌唱のこの唄をYouTubeで何度も繰り返し聴きましたが、究極の悲しみを背負った主人公の、酒に逃げるしか術を知らない不器用な男の悲しさとやるせないその心情が伝わってきます。
またYouTubeにアップされたこの曲の数ある動画の中に、台湾の歌手・蔡小虎(ツァイ・シャオフー)の動画に私は目が止まり何度も視聴しました。
『「心愛女人死去那夜」(惚れた女が死んだ夜は)』この唄を彼は切々と感情込めてそして見事な歌唱力で歌いあげています。またバイオリン・二胡の楽器などがさらにそのメロディの哀切効果を際立たせています。
また、女性サックス奏者SaxRubyが奏でる「惚れた女が死んだ夜は」も情感たっぷりのその音色は実に素晴らしく本当に聴きごたえのある演奏でした。
大切な人を失うという悲しみは、この世に生を授かった以上、何人であっても避けては通れない、人の宿命だと本能では解っています。当時仕事上での生涯の相棒だと私が思っていた今は亡き女性が、30年ほど前に娘が生まれたお祝いにといって贈ってくれた「さるぼぼ」も今では大切な形見となっています。
「惚れた女が死んだ夜は」詩もメロディもあまりにも悲しすぎるこの唄を当時の私はあえて歌うことも聴くことさえもできませんでした。
しかしここでこの唄がアップされた時、真っ先に想い出したのは、絶対の信頼をよせていたその女性の在りし日の姿でした。そしてあれから23年が経った今ではこの曲が私の心底好きな唄だとわかります。
投稿: 芳勝 | 2021年3月 3日 (水) 18時56分
「惚れた女が…」とは、「惚れた俺の女が…」ということですよね。「彼女が」でなく「(俺の)女が」とつぶやいた男の気持ちは、後者の方がよほど愛情が深く感じられますよね。近頃ジェンダー(男女差別)問題がやかましいですが、この歌の表現は男女差別でしょうか。男は原始の昔、狩に行き、女は村のコミュニティで暮らしやすいように情報を集めました。狩りに行くときは無口で行かなければ獲物が逃げてしまうので、男は無口になりました。女は情報を集めて人間関係や育児がうまくいくように勤めましたのでおしゃべりになりました。
一般的な日本の旦那さんは、収入の全てを奥さんに渡して、その中からお小遣いをもらいます。そんな国は日本くらいだと聞きました。ほとんどの外国は、旦那が毎月奥さんに一定のお金を渡して、奥さんはその中で家計をやりくりし、足りなかったら旦那さんにお願いして追加してもらうそうです。つまり、欧米思想は根本的には男尊女卑思想です。日本は天照大神の初めから女尊男卑です。日本の女性の皆さん、欧米の思想に染まって家事も育児も男女半々だと言わないでください。
投稿: 吟二 | 2021年3月16日 (火) 21時18分
妻が病気で亡くなったのが2002年1月2日でした。私は52歳で「なんで人のいいお前が先に逝くんだよ」とその後、それを忘れるためのモーレツ仕事とやけ酒の日々が続きました。「どうして予想もつかないことがこの世に起こるんだ」という神様への怒りと嘆きの日々が、ほぼ3年ほど続きました。
その時に初めてこの歌を知り、歌詞がなんと自分の心をいいあてているのかと驚きました。曲もやさしく心にしみました。
「だまって酒だけおいてゆけ」そのとおり!なぐさめなんか、ごちゃごちゃうるさい!
「いい奴ばかりが先にゆく どうでもいいのが残される」本当にそうだ!私のような者だけ長生きして申し訳ない!(でも時間がたつとちょっとおかしさも感じます。生きていることをそんな風にいうなんて・・しかしそのおかしさがいいですね。)
妻の命日が正月にあたるので、どうしても正月の祭礼中に妻の死を思い出します。それがいやで、職場の友人に誘われ正月休みにタイに行きました。初めての海外旅行でした。それ以後毎年のようにベトナムやインドへも行きました。私が、定年後日本を離れた遠いきっかけは妻の死でした。だからこの「惚れた女が死んだ夜は」はいい歌だけど、過去を思い出すので、もうあまり聴きたくない気もする歌でもあります。
投稿: 越村 南 | 2021年3月17日 (水) 13時33分
皆さまのコメントを見ていると目に熱いものがこみ上げてきます。男は(一般的には)妻に先立たれるともろくて、ほどなく逝くか、その後早めに逝く人が多いような気がしますが、女は(一般的には)1年半くらいたつと元気になってきますね。今日、生きがい大学の集いがあったのですが、女性たちがそう言って笑っていました。
でも、この歌のように最愛の女性(妻、恋人)を亡くしたら、男はみんなこの歌のようにがっくりしてしまいますよね。ずるいかもしれませんが、私も妻より先に逝きたいと思っています。そのような経験をお持ちの上記の皆さまのように、帰宅した玄関の所で号泣するような気がします。
投稿: 吟二 | 2023年4月18日 (火) 16時48分