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2021年2月 9日 (火)

大原の里

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:タケ司馬緒、作曲:山本 勝、唄:うめまつり

1 恋をなくした 娘は誰も
  必ず一度 たずねるという
  深い緑の 木立の奥に
  ひそかに抱かれた 大原の里
  臆病すぎた 自分を責めて
  あなたのいない くらしに耐える
  そんな季節の 流れるままに
  あれから一年 経ちました

2 魚山(ぎょざん)の空を 夕陽が染めて
  長い影引く 呂川(ろがわ)のほとり
  心にしみる せせらぎの中
  静かに暮れゆく 大原の里
  臆病すぎた 自分を責めて
  あなたのいない くらしに耐える
  そんな季節の 流れるままに
  あれから一年 経ちました

  寂光(じゃっこう)へつづく 小さな路を
  今はひとりで 歩いています

《蛇足》 フォーク・ブーム晩期の昭和50年(1975)5月、ビクターから発売されました。

 昭和41年(1966)リリースの『女ひとり』の後裔といった歌詞です。こちらの女性のほうが、年若な感じですが。失恋の1年後、以前恋人と歩いた大原にひとりで来ているといった状況ですね。
 失恋に限らず、愛別した人との思い出の場所を訪ねことは、何よりの癒しになるようです。まして、大原のような清澄な山里ならば。

 京都に詳しい人が多いので、あまり書くこともありませんが、大原は、勝林院・来迎院・宝泉院・実光院・三千院・寂光院など、天台宗系の寺院が多く存在する盆地です。

 高野川の北西に位置する寂光院は、小規模ながら、三千院と並ぶ人気スポット。建礼門院徳子が、平家滅亡後隠棲し、安徳天皇と一門の菩提を弔ったことで有名です。

 残念なことに、平成12年(2000)5月9日に放火で全焼し、本尊の地蔵菩薩立像はじめ貴重な文物が焼損してしまいました。現在の本堂は、平成17年(2005)6月に再建されたものです。

 なお、「うめまつり」は、エンディングの寂光を「じゃこう」と歌っており、楽譜もそのようになっています。「じゃこう」という呼び方があるのかもしれませんが、通常は「じゃっこう」ですので、そう聞こえるように調整しました(音符は元のままで、gatetimeとdev値を変えただけ)

 2番の頭に出てくる「魚山」は声明(しょうみょう)用語。声明は、仏教の経文を韻律をつけて朗唱する、いわば聖歌で、インドから中国を経て日本に伝わりました。
 中国の古代声明の伝説的な中心地が、
山東省東阿県の魚山であったことから、天台系大原流声明の中心地・大原が、日本の魚山と呼ばれるようになったとのことです。

  同じく2番の呂川は、三千院の南側を流れる川で、北側を流れる律川と国道367号線の近くで合して、高野川に流れ込みます。呂川・律川は「りょせん」「りつせん」が本来の名称だそうですが、地元では「ろがわorろかわ」「りつがわorりつかわ」と呼んでいるようです。

 この呂川・律川も声明と関係があります。声明は、韻律の違いによって呂曲(りょきょく)・律曲・中曲に分かれますが、呂川・律川は、呂曲・律曲にちなんでつけられた名前だそうです。
 ついでながら、「酔っ払って呂律(ろれつ)が回らない」などという際の呂律も、呂曲・律曲から来たもの。「りょりつ」が音韻変化により「ろれつ」になったといいます。

 コロナが収まったら、また大原に行きたいと思いますが、あまり長引いたら、足が弱って行けなくなりそう。

(二木紘三)

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コメント

 昭和50年のこの曲、いやあ、全く知りませんでした。同じ年なら「昭和枯れすすき」「シクラメンのかほり」「冬の駅」「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」などがありますから、ラジオなどで聞いていたはずなんですが・・
 この曲、歌詞を読むと1番に「恋をなくした娘は必ず一度たずねるという・・大原の里」とありますが、「必ずたずねる」って言いすぎだなと笑っちゃいました。人の思いはそれぞれでしょうに。
2番は魚山、呂川とやたら難しい地名が出てきて、大原にそんな所あったかなと意味不明になりました。が<蛇足>で中国の古代声明(しょうみょう)についての解説があり、なるほどと納得しました。

 二木先生の学術的説明が好きで、10年近くこのコーナーを見ていますが、普通の人が疑問に思うことを、実にわかり易く説明してくださるのがありがたい。
今回、二木先生が「コロナ禍であまり時間が長引くと、足が弱って大原に行けなくなりそう」とおっしやゃっていますが、いやあ、ぜひ行ってください。
 
 今日2月12日は旧暦の1月1日であり、ここべトナムでは、新年おめでとうと言い合う日です。私もこの地に10年間住んで、今年72歳になりますが、新しい気持ちで人生を歩くつもりです。二木先生のこのコーナーは本当に私の元気の素です。

投稿: 越村 南 | 2021年2月12日 (金) 15時05分

この曲は存じませんでした。昭和50年と言えば、京都の大学の2回生で、大原へも行っているはずですが、安アパートにテレビは無く、FM放送も聴けなかったので知らなかったのかも知れません。『京都慕情』のコメントにも書きましたが、この頃は京都ブームで、京都をテーマにした歌が何曲か流行りました。そのブームに乗って京都の大学に入学した学生が居たと言われる程です。大原は京都市街の北東に位置する山里で、秋の紅葉が美しい地です。冬は市内よりも雪が多く、雪景色がとても美しいと言われます

投稿: Yoshi | 2021年2月15日 (月) 16時43分

大阪万博の翌年の頃、学会で一週間ほど京都に滞在しました。宿は三千院の入口近くのお寺にとりました。この唄、「大原の里」は初耳です。当時のことがよみがえります。早朝、川向うの寂光院に参詣しました。山門から中に入ることがかなわず、これが有名なお寺さん、と、さらっとみて寺をあとにしました。三千院の塔頭、実光院で薄茶をいただき、手向けの茶碗に一目ぼれ、お内儀さまを説得して譲り受けできました。いまも大事に使っています。「あなたが一生使いつづけてもこの茶碗の景色、手触りにはなりますまい」とおっしやたお内儀さまの顔がいまも鮮明です。

投稿: 亜浪沙(山口 功) | 2021年2月19日 (金) 15時35分

こう言う歌は若い頃の自分を歌われているようで身に沁み
ます。最近タイトルに昭和と付いた演歌が出ていますが、
歌詞が昭和ぽくない。彼女との連絡は伝言板で良い。

投稿: 海道 | 2021年3月12日 (金) 15時02分

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