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2021年7月 1日 (木)

行商人/コロブチカ

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


ロシア民謡、日本語詞:津川主一

1 かついだ荷物の中は
  キャラコと錦
  肩にめり込みそうだ
  とてもたまらぬ
  肩にめり込みそうだ
  とてもたまらぬ
   ※ハイダ ハイダ ハイダ ハイダー
     ハイダ ハイダ ハイダダ
     ハイダ ハイダ ハイダダ
     おお野道は長い

2 高い金を出したので
  値切りはごめん
  夕日が隠れたなら
  訪ねておくれ
  夕日が隠れたなら
  訪ねておくれ
   (※繰り返す)

3 青い麦の穂波立つ
  夜の野原で
  もうけた金を並べ
  君に捧げる
  もうけた金を並べ
  君に捧げる
   (※繰り返す)

原詩:ニコライ・ネクラーソフ

«Ой, полна, полна коробушка,
Есть и ситцы и парча.
Пожалей, моя зазнобушка,
Молодецкого плеча!

Выди, выди в рожь высокую!
Там до ночки погожу,
А завижу черноокую –
Все товары разложу.

Цены сам платил немалые,
Не торгуйся, не скупись:
Подставляй-ка губы алые,
Ближе к милому садись!»

Вот уж пала ночь туманная,
Ждет удалый молодец.
Чу, идет! — пришла желанная,
Продает товар купец.

Катя бережно торгуется,
Все боится передать.
Парень с девицей целуется,
Просит цену набавлять.

Знает только ночь глубокая,
Как поладили они.
Расступись ты, рожь высокая,
Тайну свято сохрани!

《蛇足》 歌詞は、帝政ロシア時代の詩人、ニコライ・アレクセーヴィチ・ネクラーソフНиколай Алексеевич Некрасов 1821-1878)が、1861年に雑誌『ソヴレメンニク(同時代人) 』に発表した長編詩『コロベイニキКоробeйники、カラビェイニキが元になっています。

 コロベイニキは、革命前のロシアで雑貨や本などを売り歩いた行商人のことです。
 この詩の最初の数聯に何人かがつけたメロディが広く愛唱され、民謡化しました。民謡の常で、メロディ・歌詞ともヴァリアントが
いくつかあります。

 日本には明治中期以降(正確な時期は不明)、『カリンカ』『一週間』『トロイカ』『黒い瞳』などとともに入ってきて、いろいろな日本語詞がつけられました。
 タイトルとしては『行商人』が定着していますが、『コロベイニキ』としている楽譜もあります。
 ただ、コロベイニキは、現地の日常生活ではほとんど使われなくなっため、歌詞の1行目に出てくるkоробушка(カローブシュカ)の変形『コロブチカ』もよく使われます。カローブシュカは、箱という意味です。

 『一週間』でも触れましたが、ロシア民謡は大まかに、比較的遅いテンポで歌曲風に歌われるプロチャージナヤと、ハイテンポで、ダンスがついたり、手拍子で歌われたりするチャストゥーシカに分けられます。

 戦前に歌われた『行商人』は、プロチャージナヤです。もっとも、ロシアが社会主義化してから、日本ではあまり歌われませんでした。
 戦後また歌われるようになりましたが、チャストゥーシカに近いフォークダンス用の『コロブチカ』のほうが人気があるようです。
 鮫島有美子などがYouTubeで歌っているのは、プロチャージナヤ系統のメロディですね。

 チャストゥーシカ風の『コロブチカ』が日本に入ってきたのは、おそらく戦後のことです。それも、ソ連から直接ではなく、アメリカ経由で入ってきたと思われます。

 戦後、GHQ(連合国最高司令官総司令部)の民政局は、さまざまな面で日本の民主化を図りましたが、その一つの手段がリクリエーションでした。自発的・創造的な余暇の過ごし方を通じて青少年の育成を図ろうとしたのです。

 たとえば、昭和24年(1949)リクリエーション指導のために来日したR.L.ダーギン(Russel.L. Durgin)が持ってきた歌集には、フォークダンスや合唱に適した歌がいくつも入っていました(『おおブレネリ』参照)。『コロブチカ』がそのなかに入っていたかどうかはわかりませんが、この前後から少年少女や若者たちの集まりで歌われ、踊られるようになったのは、まずまちがいないでしょう。

 小・中・高校の運動会などで、『オクラホマミキサー』や『マイムマイム』などとともに、『コロブチカ』 を踊った記憶がある人も多いのではないでしょうか。

(二木紘三)

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コメント

 フォークダンスの曲で歌詞がついていたとは思いませんでした。懐かしいですね。高校時代よく踊りました。コロブチカのステップを思い出すことができませんが、一つだけ覚えています。ぐるりと回って手を一回ポンと叩いて・・・というところを思い出しました。そういえば制服のスカートが回りヒダだったので、広がらないように両手で左右を抑えて一回転しました。今から思うと、十五、六の乙女がスカートを抑えて回る仕草は優雅だったかもしれませんね。あの頃の乙女には恥じらいがありましたね。

投稿: konoha | 2021年7月 2日 (金) 14時44分

この歌「コロブチカ」や、「オクラホマ・ミキサー」、「マイム・マイム」を聴くと、やはり、フォーク・ダンスを思い浮かべます。

とは言え、別に硬派だったからなどという理由はないのですが、私は、中学でも、高校でも、フォーク・ダンスを踊った記憶がないのです。
一方、家内(4歳年下)は、思い出話のなかで、学校でフォーク・ダンスを踊ったよと話しているので、私は、学校でフォーク・ダンスが導入される少し前に、就学していたのかも知れません。
フォーク・ダンスを経験できず、残念な気もしますが、”時代の流れ”の一コマだった訳で、致し方のないことと割り切っております。

投稿: yasushi | 2021年7月 3日 (土) 10時39分

 「コロブチカ」、んん、聞いたことある言葉だ?、ええと、あっそうだフオークソングの曲だ。なつかしいなあ。はてどんな踊り方だったかな?で、YOU TUBEでチェック、完全に思い出しました。いやあ便利なものですね、YEOU TUBEって。
ついでに「オクラホマミキサー」や「マイムマイム」の踊り方も調べました。昔、やった、やった、この踊り、という感じ、いや、やらされたって感じのほうが正しい。

 中学、高校時代の頃ですね、その時は「無理やり、誰彼なしに、女の子の手を握らされるなんて、暴力的だな」と思いながら参加しました。「しかしこういうこともやっておかないと、結婚までの道はほど遠いのかもしれんなあ」と考えつつ。
最後に強く思ったのは、これってアメリカ式の男女平等の民主化教育と聞いたけど、先生たちはそんな教育は受けていないはず、どんなつもりでこの風景をながめているのかな、見知らぬ男女の手をつなぐ姿を「うらやましい」と思うか「不潔」と思うか・・
手を握ることが大事件だったのは、私に女きょうだいがいなかったせいかな。

投稿: 越村 南 | 2021年7月 3日 (土) 11時22分

フォークダンスという言葉が定着したのは1960年ごろでしょうか。「行商人」は1950年代の「スケアダンス」の定番でした。「スクエア」は四角のことだから、本来4組で1セットになる踊りのことでしょうが、戦後早くアメリカからそれが入ってから、社交ダンス以外のみんなで踊るバタ臭い踊りをスケアダンス」と言っていたようです。
私はこの歌を、1950年代半ば、音感合唱研究会の指導者でもあった響美幼稚園の石本美佐保先生に「木曜コーラス」で教わりました。その時は繰り返しの「ハイダダー」の最後の「ダー」をちょっとフェルマータのように延ばしていました。後に、踊ることになると、それではやりにくかったのですが。
ユーチューブなどでロシア民謡「コロブチカ」を聞くと「ハイダ」がありません。アメリカで付け加えられたものでしょうか、それともロシアでのバリアントのひとつなのでしょうか。

投稿: dorule | 2021年7月 5日 (月) 13時36分

「コロブチカ」ここでこの原曲を聴いてみて、私たちがこれまで馴染んできたそのメロディが、原曲とは若干イメージの異なるフォークダンス用の「コロブチカ」だったのだと初めて知りました!

故郷の私が通った小学校での運動会行事のフォークダンスの演目では、5年生が「コロブチカ」そして6年生は「オクラホマ・ミキサー」が恒例でした。
確か私の記憶では、私たちの小学校の運動会でそもそもフォークダンスの行事が始まったのは、昭和39年からで、当時私が4年生の時でした。その時に初めて踊ったのは「エース・オブ・ダイヤモンド(デンマーク)」というダンスでした。校庭でみんなで一緒になって懸命に練習していた10歳のころが懐かしく想い出されます。
私のもう一つのフォークダンス思い出は、後年になり一度だけガールフレンドと参加したことのあるサークルで、みんなで和気あいあいに楽しく踊った「マイム・マイム(イスラエル)」や「バージニア・リール(アメリカ)」などですが、その時の楽しかったという記憶は今でもしっかり残っています。

もうこれから先、私がフォークダンスを踊る機会は多分訪れないとは思いますが、「コロブチカ」・「オクラホマ・ミキサー」・「マイム・マイム」・「バージニア・リール」などであれば、私は今でも踊れるようなそんな気がするのですが・・・(笑)

投稿: 芳勝 | 2021年7月 5日 (月) 18時19分

私は男子高だったので女子高生を招いてのフォークダンス会には勇んで参加しました。大きな中学の出身者は女子高生の中に中学の同級生がいると言うので紹介してもらいましたが、その時だけでした。勿論女子高のフォークダンス会にも真っ先に参加しました。それと学校祭がありペンシル形ロケットを飛ばしたりプラネタリウムを作って女子高生を喜ばせました。昔の事です。

投稿: 海道 | 2021年7月11日 (日) 18時39分

フォークダンスのこの曲  どなたかに聞かれ 教えたことがあります。
(たぶん 記録として残っているはず)

私がひさしぶりに この曲を聴いたのは
1999年夏  中国新疆ウイグル自治区の首都ウルムチのレストランで

当時 日本に留学して 帰国して 政府の高官になったり 大学教授になった ウイグル人たちに招待され
ウルムチのレストランで ご馳走を食べていたら
隣の部屋から 聞こえてきたのが この曲

ウイグル人たちの結婚式(結婚披露宴)は レストランで行います。  歌と踊りがつきもの

このロシアの音楽は ロシアの隣国の中国でも おなじみの曲なのでしょう。

投稿: みやもと | 2021年7月25日 (日) 16時54分

今から60年前、高校は男女共学でした。秋の体育祭の頃は
連日、フォークソングの練習でした。
勿論、オクラホマミキサーやマイムマイムなどとともに、この曲コロブチカも踊りました。
ロシア民謡は抒情的で日本人の感性に良く合うと思います。
北国の寒い気候・環境がそうさせるのか定かではありませんが、相手の心を思いやる感性豊かなロシア人が隣国に対し、不当な侵略戦争を仕掛けている現実、信ずることはできませんが、一刻も早い終戦を願うばかりです。

投稿: タケオ | 2022年5月19日 (木) 20時12分

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