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2021年9月21日 (火)

信濃恋歌

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:志賀大介、作曲:鶴岡雅義、唄:マヒナスターズ

1 湖水(みず)に根雪の 白い影
  君の横顔 思い出す
  帰らぬあの日を 秋桜(コスモス)
  やさしく語る 道祖神(どうそじん)
  信濃恋歌 風の詩(うた)

2 わさび色した せせらぎに
  君と浮かべた 木(こ)の葉舟
  どこまで流れて 行ったやら
  おもかげ煙る 高瀬川
  信濃恋歌 風の詩

3 北アルプスの 嶺はるか
  君を泣かせた あかね雲
  あの日と変わらぬ 夕景色
  ピッケル青い 山の駅
  信濃恋歌 風の詩

4 王子祭りの 流鏑馬(やぶさめ)
  君は浴衣の 手を振った
  夜空にいちばん 近い町
  星かげ揺れる 塩の道
  信濃恋歌 風の詩

《蛇足》 平成19年(2007)10月リリース。

 ムード歌謡のヒットメーカー鶴岡雅義と、都会派ムードコーラスのマヒナスターズによる素朴な抒情歌という珍しい作品。ただし、歌い方はいつものマヒナ調です。
 水森かおりが歌った演歌『信濃路恋歌』とよく混同されますが、トーンがかなり違います。

 『信濃恋歌』と題されているものの、歌詞を見ると、"安曇野恋歌"です。安曇野は私の生まれ故郷であり、いろいろな場所に思い出があるので、取り上げました。

 安曇野は松本盆地(松本平)の一部で、梓川から木崎湖あたりまでの南北に長い谷間で、高峰が連なる西側の北アルプス(飛騨山脈)から、東側の筑摩山地の麓に向かって、緩やかに傾斜しています。
 梓川は、筑摩山地の麓で南から流れてきた奈良井川を合わせて犀川となり、大王わさび農場の北で穂高川と高瀬川を合わせてさらに北流し、川中島の北で千曲川と合流します。

 安曇という地名は、福岡の志賀島(しかのしま)を本拠地としていた安曇氏(阿曇氏とも)から来たとされています。安曇氏は海人(あま)族で、記紀によると、神武東征の時代に本拠地を離れ、瀬戸内海を経て陸路で、あるいは日本海回りで、今の安曇野と呼ばれる地域に入ったようです

 穂高神社の例大祭・御船祭は、安曇氏が海人族だった頃の記憶を留めるために始めたイベントだったといわれます。

 1番の湖水は、"仁科三湖"と呼ばれる木崎湖、中綱湖、青木湖のいずれか、または全部。仁科は、古代この地を領有した豪族に由来しています。
 私は、中学・高校時代、シュトルムの『みずうみ』
(高校ではImmen Seeで)の最終章を読む際、いつもいちばん北の青木湖をイメージしていました。当時は、周りに農家が数軒あるだけで、観光開発も行われていず、ほんとうに静かな湖でした。

 『みずうみ』最終章の話を少し。
 ラインハルトは、幼馴染のエーリッヒ・エリーザベト夫婦に招かれて、その屋敷に滞在します。ある深夜、湖に白い睡蓮の花を見つけ、泳いで取りに行こうとします。すぐ手が届きそうに思えるのに、泳いでも泳いでも行き着かない。ついに溺れそうになったので、急いで岸に帰ります。
 戻ってきたラインハルトに、エーリッヒは「なぜそんな変なことをするんだ。君は睡蓮とどんな関係があるんだ」と訊きます。
 ラインハルトは、「昔この花と親しかったことがあるんだ(Ich habe sie früher einmal gekannt.)
。もう遠い昔のことだがね(es ist aber schon lange her.)」と答えます。

 私は後年、ここを思い出すたび、胸が痛くなったことが何度かありました。いうまでもなく、白い睡蓮の花はエリーザベトの象徴です。
 「すぐそこにあるように見えるのに、どうしても行き着かない」「昔親しかったことがある」……切なくなりませんか。

 1番の道祖神は、双体道祖神を指していると思います。男女が仲良く寄り添っている像が刻まれているのが特徴で、夫婦和合、子宝・安産に効験があるとされます。
 双体道祖神は各地にありますが、安曇野にはとくに多いようです。

 4番の王子祭りは、大町市の若一王子神社の例大祭を指しています。約700年前からの祭りで、流鏑馬が名物。鎌倉の鶴岡八幡宮、京都の加茂神社と並ぶ三大流鏑馬の1つで、全国で唯一、子どもが射手を務めるという珍しい行事です。

 作詞者の志賀大介が大町市出身なので、これを入れたのでしょうが、私としては、穂高神社の御船祭りを入れてほしかった。穂高は安曇野の真ん中であり、私の母の生地でもあるので。

 塩の道は千国街道の別称。糸魚川と松本を結ぶ街道で、昔はこの道を通って沿道の各地に塩や海産物が運ばれました。

(二木紘三)

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コメント

2005年に和田弘さんが亡くなった後ですね。ちょっと悲しい歌です。

投稿: hurry | 2021年9月21日 (火) 10時04分

綺麗な信州の名歌をありがとうございました。安曇族は信濃川から犀川経由で安曇野に来て開拓を始めたという説もある様ようすね。途中山清路(私の生まれ故郷)の岩場を1年がかりで崩して安曇湖の水を抜き取り干拓地にしたという。幼少の頃父に連れられ穂高神社に参拝した記憶があります。他にも隠れた名曲があります。「小諸わが想い出」(由紀さおり)「上高地の春」(ダークダックス)
何かの機会にお願いします。

投稿: 海道 | 2021年9月21日 (火) 10時52分

曲名を見て知らない懐メロ?と思って歌手名を見るとマヒナスターズ。
流れ来るメロディーに、平成19年の歌とは思えない郷愁を感じ、
窓からの秋風の中で涙が流れて来ました。
心に沁みる歌の紹介ありがとうございます。

youtubeで聴いていたら、もう1曲がありました。唄 青柳常夫

♪上高地の春 ダークダックス 私もお願いしたいなと思っていました。
新ラジオ歌謡で録音した歌を引っ張り出して聴いていました。

投稿: なち | 2021年9月21日 (火) 12時10分

二木先生が信州・安曇野のご出身だと、この場で知り感慨無料です。松本のご出身とばかり想定しておりました。昨日で臼井吉見の「安曇野」全五巻を読み終えました。萩原碌山を縦糸にして縦横に明治から昭和にかけての日本の著名人が織りなす超大作ですね。信州の文化・芸術・教育・政治思想など克明につづられています。改めて日本においての信州の偉大な位置づけを知ることができました。陶芸を志している昨今の小生、日本民芸についての「安曇野」の章(第五巻その九)は何回も読みなおしました。地元ゆかりの教育者小林多津衛の民芸美術館が近くにあります。信州は良いところですね。

投稿: 亜浪沙(山口 功) | 2021年9月21日 (火) 14時14分

「信濃恋歌」ここで初めて聴いたこのメロディに私は一瞬にして郷愁を誘われ、今日は今朝から万感の思いでこの曲だけを幾度も聴いています!

恐れながらも、二木先生がご自身の生まれ故郷をしみじみと偲ばれている、またその思いの丈が切々と伝わってくるような、そんな尊い文面の『蛇足』を読んでいく内に私は思わず胸が熱くなりました。

そして哀切漂う鶴岡雅義のこの秀逸のメロディを聴きながら私の脳裏を過ったのは、それは先の渡久地政信の「少年の秋」のメロディをここで初めて聴いた瞬間に私が感じたあの時の感動に似たものでした。

「信濃恋歌」今日はマヒナスターズ歌唱のこの唄をはじめ、信濃に纏わる私の好きな歌の数々をyoutyubeで視聴しましたが、そこに写るその素晴らしい映像の数々に、私が18歳のころに初めて信濃へ旅した時、あまりにも自然極まるその絶景を観て思わず感動した時のことが懐かしく蘇ります。
そして、安曇野が海と深くかかわっていたことを物語っていると云われる興味深いその『御船祭り』を私は必ず直に観たいと思いました。

投稿: 芳勝 | 2021年9月21日 (火) 22時42分

この曲を何回となく聴く毎日です。そのたびごとに万感こみ上げるものがあります。終戦後間もない頃、一人の端正な中年のご婦人が村に現われました。何処からきてどこへ行くのか、この村に立ち寄った訳など、村の大人たちははっきりとは掴めませんでした。居心地がいいのか、村からでる気配もなくそのまま居ついてしまいました。本人は自分の名前すら記憶になく、口から出せません。仕方なく「信州」と名付け、村人は食べ物や寝起きする場所(山手の防空壕)の面倒を見ることとなりました。雪が解けて暖かくなるといろいろな草花や杏、桃、リンゴの花が次々に咲くとだけは村人に語るそうです。それじゃ生まれは「信州・信濃」に違いないとして名前を「信州」としたと母親から聞きました。夏は川に連れ出して藁でこしらえた「たわし」で背中をながし、家から食べ物をもちだしては二人で川の土手にしゃがみ込んでは取り留めもない話を聞くのが十歳に満たない私のたのしくも愛しい日課(?)でした。「海伝いに歩いて行けば・・・」と何回となく言っていたことが私の記憶に今も残っています。信州から日本海の海岸に出て北陸・山陰をたどり、北九州から海岸沿いをさらに西にたどり私どもの村にたどりつたのかと。そうしておそらくは目的地は鹿児島の知覧ではなかったのかと今も哀惜を込めて思いめぐらしています。信州さんの端正で優雅な面影を追っての遍歴がいまもつづいています。私も今ではれっきとした信州人となりました。

投稿: 亜浪沙(山口 功) | 2021年9月24日 (金) 16時16分

安曇族の祖は穂高見の命で神武天皇の叔父ですよね。そしてその妹は諏訪大社の建御名方命の后八坂刀売神ですね。歴史ロマンを感じます。信州はいい所ですねと度々言われますが、二人の命ともいい所と分かっていてやって来たのでしょうか。ついでですが水森かおりの「辰野の雨」も信州の名歌と思います。

投稿: 海道 | 2021年9月25日 (土) 16時28分

 初めて聞く「曲名」ですが、何か懐かしいメロディです。
 二木先生の説明や、皆さまの投稿で、私の故郷(福岡県)と長野県安曇野地方との古代の結びつきの様なものを感じました。
 長野県の思い出。20歳の電気工学科の学生だった頃、北信・栄村の水力発電所で2週間程、実習でお世話になりました。会社員時代の慰安旅行で松本駅経由で、大糸線で白馬駅辺りまで、旅行した事。定年退職した年に、昔お世話になったお礼を兼ねて、秋山郷、栄村を40年振りに再訪した事。発電所は、無人化されていましたが、見知らぬ方々に、またまたお世話になりました。
 良い思い出ばかりです。

投稿: 竹永尚義 | 2021年10月 5日 (火) 06時31分

繰り返し聴いてみました。旋律が歳のせいかすぐに頭に入らないのでユーチューブでカバーしている方を聴き、こちらはソロなのでよく頭に入り、改めてマヒナ版をきいて、ウンと納得しました。美しい抒情歌です。

「信濃路恋歌」も聴いてみました。思ったのは、信州に演歌は似合わない、ということ。高燥の地、清爽の気、澄明の空、ここに演歌という高脂血症のような歌は似合わない、つきづきしからず、と今更の如く感じました。
演歌ではなく抒情歌謡、例えば、「高原の旅愁」「山小屋の灯」「山陰の道」「高原の宿」系なら信州の空気が歌えるでしょう。「信濃恋歌」のいくつかのユーチューブに映る美しい風景の中に暮らす人達の幸せを思いました。

同じ長野でも我が亡母の生まれ故郷であり、私の育ち故郷でもある北安曇郡南小谷村(現在は統合後の小谷村の一部)は、県歌「信濃の国」でも言及されず安曇野とは異なる風土です。糸魚川静岡構造線の上に位置し、峡谷型の地形。昔から地滑りを繰り返してきました。今でも現地の知人によれば防災、減災の学習会が行われているそうです。

糸魚川に向かって北に流れる姫川の東西は山が視界を遮り、空は南北に広がっている風景の中で小学4年まで過ごし、記憶のない出生地、東京に戻りました。
今は数時間で帰れる距離ですが、私の中では遠い遙かな時間の彼方の世界です。南小谷村は私にとって、
  ふるさとは遠きにありて思うもの
  そしてかなしく(愛しく)うたうもの
です。
満州で生を享けた人が生まれ故郷としての満州を恋するのと似たような心情かもしれません。

仁科三湖、懐かしいですね。鏡のような青木湖の湖面は静寂に包まれて茫然としているしかないような時間でした。
姉が病気で大町の栗林医院(今もあるようです)に入院した時、付き添いの母と共にしばらく滞在。折々でかける大町は外国の街のようでした。

管理人様の「蛇足」に触発されて切れ切れの思いを綴ってしまいました。

それから、県歌「信濃の国」をここでとり上げて頂いたらとても嬉しいのですが。昭和23年、南北分断の危機を防いだ歌をどうぞ宜しくお願い申し上げます。


投稿: ナカガワヒデオ | 2021年10月 6日 (水) 17時11分

竹永尚義さま
ナカガワヒデオ さま
 こんにちは。お二方のご投稿に接して、この「信濃恋歌」にまたまた投稿したくなりました。この歌へはほとんど毎日のようにアクセスしています。竹永尚義さまが北信濃の栄村の発電所で実習された由、おそらくその発電所だとみていますが,栄村、津南町を経由して秋山郷にときたま出かける際、国道から目にします。秋山郷のとちの木から採取される蜂蜜を買い求めるための道中の車窓からです。この蜂蜜は、色といい、香りといい、甘さ加減といい、私にとっては絶品です。
 ナカガワヒデオさまのコメントで「信濃の国」を二木先生に所望されておられますが私もまったく同じ気持ちです。安曇野の碌山美術館で美化清掃を奉仕なされている初老の方が敷地内の別館におかれている古いオルガンを弾きながら「信濃の国」を唄っておられる場面が臼井吉見の「安曇野」の最後の巻(第五巻)の最後の章の最後のくだりで描写されています。「信濃の国」をアップしていただける日が来ることを念じてやみません。

投稿: 亜浪沙(山口 功) | 2021年10月12日 (火) 15時23分

「信濃恋歌」を聴きながら《蛇足》を拝読していたら、昔、二木さんの仁科三湖に関するツイートに返信したことを思い出しました。
「(二木さん)私は青木湖がいちばん好きでした。(返信)ぼくも青木湖がかもしだす雰囲気が好きです。湖畔のホテルブルーレイクに泊まったことがあります。シュトルムの“Immen See”、手元にある高橋義孝訳の新潮文庫(昭和28年)、読んでみます」。
ツイートに返信したのは2010年12月、11年前です。本棚からシュトルム『みずうみ』を取り出し眺めていたら、いろんな事が思い浮かんできます。有り難うございます。

投稿: 楽蜻庵 | 2021年10月12日 (火) 22時20分

楽蜻庵様
交流掲示板の2311番で、形ばかりのご挨拶を申し上げました。
(二木紘三)

投稿: 二木紘三 | 2021年10月12日 (火) 23時43分

この歌を聴いて信州と遠州は南北で隣り合っていても、随分感覚が違うものだと感じました。山を背に春の日差しを浴びている様な歌が信州人ですね。
遠州灘の荒い波音を聞きながら雪のない空っ風の中を急ぎ足で歩き回っているのが遠州人気質ではないかとおもいました。まだ信州に一歩も足を踏み入れていない私がこの歌を聴いた感覚です。天竜川の故郷の信州を一度訪ねてみたいと思っていましたがもう面倒です。天竜川の流れを見ながら信州を思っています。

投稿: ハコベの花 | 2021年10月13日 (水) 23時34分

「信濃の国」の中に4人の偉人が出て来ますが、作詞の頃南北対立が激しく、これを鎮めようと東西南北から1人づつ選んだのだそうです。仁科五郎信盛は信州人ではなく甲斐人ですが勇猛な武将で善政をしいたので領民に五郎様と慕われたとの事。作詞の頃信盛、盛信両方使われていた。(長野県教育委員会)書状の署名も両方存在する。(高遠町歴史博物館)
また「日本武嘆き給いし碓氷山」と言う歌詞がありますが、日本武尊が船で浦賀水道を渡るとき嵐に遭い進めなくなったら妻の弟橘姫が入水して危機を救った。この事を嘆いたようです。隣町の神社に祀られています。

投稿: 海道 | 2021年10月14日 (木) 18時09分

昨晩(10月17日)からの冷え込みで浅間山は初冠雪です。午後には筋状の窪地にわずかな残り雪を目にしました。信州は秋晴れの快晴です。朝晩の寒さがひどくならないうちに今年最後の窯焚きの支度をします。主な作品は茶の湯の茶碗とボリビアの原住民が祀りに供したデーモンの写しです。「信濃恋歌」、「小諸わが想い出」、「伊豆の踊子(山口百恵)」、「哀唱歌」、「絶唱」などを口ずさみながら、浅間を北にみながらの窯入れ、窯焚きをします。これらの歌を覚えたことはこの人生、喜びの至りです。

投稿: 亜浪沙(山口 功) | 2021年10月18日 (月) 15時45分

「信濃恋歌」を聴いているうち不図「みすずかる」という歌が遠い記憶の中から蘇ってきました。ユーチューブを検索するとまだ生きていました。

昭和41年。作詞永六輔、作曲いずみたく、歌デューク・エイセス。堂々の布陣です。
信州の山河、名所旧跡などを列挙しただけのような歌詞ですが、そこはかとない哀愁をたたえたノスタルジックな歌で、永六輔といずみたくはやはり只者ではないと思わせます。

信濃恋歌、みすずかる、ともに甲乙つけがたい名歌で、それを並べて評価するのに稍古めかしい言い方を借りれば、
「信濃恋歌」は「みすずかる」の上に立たんこと難く、「みすずかる」は「信濃恋歌」の下に立たんこと難くなんありける、
と言えば何か収まったような気がします。

「みすずかる」は言うまでもなく「信濃」にかかる枕詞。本来は「みこもかる」だったようですが、それが「みすずかる」になった経緯については煩わしいので省きます。

みすず書房という私の好きな出版社がありますが、その社名は創業者の小尾俊人氏が茅野市出身だったことによるそうです。
なお付け加えると、岩波書店の創業者、岩波茂雄は諏訪市出身。
筑摩書房の創業者、古田晁は塩尻市。

いずれも「良心的」出版社として、出版業界のみならず日本の文化において価値ある資産と見做されていると思います。

もし新しいバージョンの「信濃の国」ができたら、

岩波茂雄も古田晁も小尾俊人も
皆此の国の人にして
文化の誉れたぐいなく
山と聳えて世に仰ぎ
川と流れて名は尽きず

というような文言を是非入れていただきたいものだと愚案しています。

投稿: ナカガワヒデオ | 2021年10月20日 (水) 14時07分

信濃と言う文字を見ると老体が反応してしまいます。「信濃の国」4番について。
四、尋ねまほしき園原や 旅のやどりの寝覚の床 木曽の棧(かけはし)かけし世も 心してゆけ久米路橋 くる人多き筑摩(つかま)の湯 月の名にたつ姨捨山 しるき名所と風雅士(みやびお)が 詩歌に詠(よみ)てぞ伝えたる坂上 是則  新古今集
園原や伏屋に生る帚木のありとは見えてあわぬ君かな
この帚木(ははきぎ)の根っこは現存しているとの事。
寝覚の床と浦島太郎を結びつけた古い記録としては、沢庵和尚が『木曾路紀行』で「浦島がつり石」なる岩に言及しています。木曾の棧も古くは今昔物語集に記述があり、豊臣秀頼が改良工事をした。翌年に尾張藩が872両をかけて、石垣と3つの木橋を設けた。(今は石垣のみ現存)久米治橋は拾遺和歌集に「埋もれ木はむしばむといふめれば久米路の橋は心してゆけ」とあります。筑摩の湯の起源は日本書紀までさかのぼり現在の美ケ原温泉・浅間温泉を指すとあります。姨捨山は月の名所としては平安時代から知られていました。そんな意味の古歌が「信濃の国」の歌詞に巧みに生かされたのです。こうして作詞者浅井洌の並々ならぬ学識と力量が、随所に発揮されています。  江戸時代の末、松本藩士の子に生まれた洌は10代で漢籍を学ぶ。20代には国語国文にも強い関心を向けた。万葉集から新古今集まで、和歌をはじめ源氏物語、徒然草など我が国の古典の独習に励む。日本史の勉強も重ねた。 「信濃の国」を構成する豊かな言葉の世界は、歌枕はもちろん、地理も歴史も若くして磨いた洌の幅広い素養があってのことでしょう。ただ名勝を羅列しているだけではなく、ちゃんと昔の歌を踏まえて詞をつくっているのです。(ネット情報)

投稿: 海道 | 2021年10月22日 (金) 16時57分

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