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2021年11月10日 (水)

下宿屋

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:阿久 悠、作曲森田公一、唄:森田公一とトップギャラン

1 窓に腰かけ あの人は
  暮れて行く空 見つめつつ
  白い横顔 くもらせて
  今日は別れに 来たという
  だらだら坂の てっぺんの
  あの下宿屋の 想い出は
  泣いて帰った あのひとと
  あとにのこった 白い花
  白い花

2 しけた煙草を まわしのみ
  かけた茶碗で 酒を飲み
  金もないのに 楽しくて
  いつも誰かに 惚れていた
  だらだら坂の てっぺんの
  あの下宿屋の 想い出は
  行方知れない 友だちと
  やつがのこした 置き手紙
  置き手紙

  行方知れない 友だちと
  やつがのこした 置き手紙
  置き手紙
  ルールルー ルルー ルルー

《蛇足》 昭和50年(1975)9月にCBS・ソニーから発売。

 この年の5年ぐらい前から、フォークの傑作が続々とリリースされ、その陰に隠れて、この曲はあまりヒットしませんでした。
 私もこの曲についての記憶がなく、『青春時代』に掲載された
Yoshiさんの投稿で初めて知った次第です。

 Yoshiさんは、「この曲こそ、自分の青春時代の記憶を謳い上げてくれたもの」とおっしゃっていますが、私もまったく同じ。失恋、金もないのに毎日が楽しい、消え去った友……すべて私が学生時代に経験したことばかり。

 しかし、冷静にその頃の記憶を手繰ってみると、けっして楽しいことばかりではなかった。あんなこといわなければ/しなければよかった、こうすべきだった、といった後悔や自己嫌悪がいっぱい。
 数からいえば、そうした負のケースのほうが多かったかもしれません。

 ありがたいことに、歳を重ねるにつれて、負は正にならないものの、昔の失敗や辛さがしだいに懐かしさを帯びてきます。
 そして、あのときこうしていればこうなっただろうと、都合のいい歴史の分岐点を作って、今とは違う人生を歩んだりします。これはこれで楽しいし、眠れない夜の入眠剤にもなります。

 この歌をmp3にしながら、そんなことを考えました。いい歌を教えてもらいました。

(二木紘三)

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コメント

 一人暮らしを一度もしたことがなく憧れでした。いくら経費がかかるのだろうと計算したことがありました。当時のお給料では家賃を払って、食べるだけで精一杯でしたのでいとも簡単にこりゃダメだと思いあきらめたことがありました。男友達も女友達もみんな実家住まいでしたので、誰かの下宿に遊びに行くこともありませんでした。

 フォークソングが流行った時代は、結婚して子供もいて毎日が大わらわな生活を送っていました。時間的に気持ちにゆとりが出てきて自然にフォークソングが耳に入ってきました。『青春時代』に胸が熱くなったり、『神田川』に青春を感じたりしました。この『下宿屋』は男子の世界ですね。臆病だった私はこんな男子の生活ぶりや旅行ぶりが羨ましかったです。

 『蛇足』にありますように「しかし・・・そうした負のケースの方が多かったかもしれません。
・・・・・・失敗や辛さがしだいに懐かしさを帯びてきます。」本当にそう心から思います。

 過日上映時間が3時間に及ぶ『ONODA』を観てきました。偶然、高校時代の憧れの先輩が小野田寛郎自然塾でボランティア活動をしていること知りました。お付き合いした当時のことが思い出され、失礼をしてしまったことに疼きとともに懐かしさが募りました。

投稿: konoha | 2021年11月11日 (木) 10時17分

 阿久悠さんは、 青春時代、だらだら坂のてっぺんの下宿屋に住んでいたわけでなく、
イメージとしてはいつもだらだら坂のてっぺんにあったとか。
時間に束縛されると窮屈で、二重の食費がいるので、
食事付きの下宿屋に入ったことはなかったそうです。
洗面台、トイレ、風呂・・何もなく、押し入れがあるだけだったとか。
1人では払いきれないので、友達2人と借りておられたようです。

  購読新聞に載っていた「阿久悠の 歌もよう人もよう」
 “貧しかった青春と同意語 トイレも風呂もなかった” より。

 私が就職した寝起きするところは、職場の傍の普通のお家の2階でした。
入口の台所に親子2人。 反対側にもお部屋がありました。
2階の寝起きしておられる部屋を通って、床の間がある部屋で3人が一緒でした。
何十年か経って傍まで行ってみたら、職場も寮もきれいに建て替えられていました。

投稿: なち | 2021年11月11日 (木) 13時51分

 『下宿屋』のアップロードをありがとうございました。阿久悠のこの歌詞を紹介すれば、誰か必ず共感される方がいらっしゃると思っていました。『舟歌』のコメントにも書かせていただきました様に、阿久悠は歌謡史に残る偉大な才能であったと思います。
 学生時代は大学の雰囲気が自由だったこともあり、講義はかなりさぼりましたが、あれ程本を読み込んだ時期はありませんでした。そして小説や、映画、時には流行歌にも随分影響を受けました。大学時代、『下宿屋』の歌詞はリアルタイムで青春そのものだと感じていましたが、高校の時からそんな生活に憧れていたのも事実です。
 フランスの作家アンドレ=ジイドは、「ああ!青春! 人は一生に一時しかそれを所有しない。残りの年月はただそれを思い出すだけだ。」と述べていますが、『下宿屋』は青春を回顧するのもまた楽しいと思わせる歌です。ただ森田公一とトップギャランの『青春時代』もそうですが、曲が短調なのは、青春時代の回顧が多少なりとも感傷 ― 時には後悔 ― を含んでいるからだと思います。

投稿: Yoshi | 2021年11月13日 (土) 12時07分

Yoshiさま
 アンドレ・ジイド、忘却の彼方になってしまった半世紀以上も前に読んだ作家の名前に触れました。当時が蘇ってきます。ありがとうございます。

投稿: konoha | 2021年11月13日 (土) 12時45分

「下宿屋」この三日間、私は想い出の詰まったこの曲を何度も聴き返しながら、苦かった自分の青春時代を想い出しては胸を熱くしています!

私は21歳から22歳にかけてのこの短期間に、自分の不器用で尖っていた性格が災いしてたからなのか、私は二度の失業をしました。次の職も中々見つからず、転職のために借りていたアパートの支払いにも困る有様の私は、僅かな預金も底をつき、いよいよにっちもさっちも行かない生活を余儀なくされ、毎日失望の日々を過ごしていました。
今考えてみても本当に不思議なのですが、そんな私の窮地を救ってくれた人たちとの信じられないような、究極とも思える偶然な出会いがあったのです。
初めて会った私にお金を工面してくれた焼き肉屋のご主人、ご自宅に無償の真心で私を下宿させてくれた大工の棟梁ご夫妻、その棟梁のご縁で奇跡的に巡り合えた某企業の社長、今では神とも思えるこの方たちとの出会いがなければ、現在の私の幸せな暮らしはありえませんでした。

「下宿屋」今日もこの曲を繰り返し聴きながら、コメントをタイプしていますが、すでに亡くなられた、焼き肉屋のご主人と大工の棟梁ご夫妻、そして、私の人生を変えてくださった、今年傘寿を迎えられた恩師ご夫妻、どこまでも感謝して止まない方たちの、そのお一人お一人の尊いお顔が、私の脳裏には浮かんできてしまい、今この時も胸が張り裂ける思いです。

投稿: 芳勝 | 2021年11月13日 (土) 18時19分

芳勝さま
 コメントを拝読しまして、芳勝さまが数々の歌に寄せられていたコメントを思い出しています。ご家族の豊かな情愛に包まれて育った真っ直ぐな素直なお人柄が人との出会いを引き寄せられたと思っております。素晴らしいですね。芳勝さまはきっと真っ直ぐな瞳をなさっているのでしょうね。

投稿: konoha | 2021年11月13日 (土) 22時20分

二木先生の蛇足・コメントを熟読玩味しているうちに60年前にもなる学生の頃の記憶がよみがえってきました。「あのときこうしていればこうなっただろうと・・・」、「あんなこといわなければ/しなければよかった、こうすべきだった、といった後悔や自己嫌悪がいっぱい」。これに相応するかのように、渥美清の「男はつらいよ」の「牡丹」編で、兵庫県竜野出身の日本画壇重鎮役の宇野重吉さんと若かりし日の恋人役の岡田嘉子さんとの会話で、夕闇せまる和室の庭先でのお互いの再会の気持ちを語り合う場面があります。恋人役の岡田嘉子がしづかに述懐するセリフが二木先生のコメントに相重なります。素晴らしいコメント(蛇足)に感銘です。

投稿: 亜浪沙(山口 功) | 2021年11月15日 (月) 13時11分

大学紛争に紛れて遊んだのか学んだのか不明のまま迎えた4年生の初冬、狙っていた斜陽産業の代表格のような企業の入社試験に落ちた。
封書で結果を知らされた、もう同居人のいない下宿屋というかアパートは外気温より寒々として、取り残されたような覚束なさを感じた。秋の入り口の頃はまだ漂っていた色めいた香りも感じられない。

この歌は集まり散じたかっての仲間たちのそれまでのこの部屋での様子を思い出させる。
彼女は別れも告げずに出て行ったし、彼らはいつも数時間の滞在で狭い玄関から履きかけた靴のまま手を振って去っていった。

森田公一の歌声は、去り行く人より残る人が辛い‥ではないが、卒業して社会参加する一連のイベントに置いて行かれたあの寂寥、孤独感を今になっても思い起こさせるのだろう。

多分封書を開いたその日から先へ続く道が分岐し、そうしてしばらくたってから僕はその分岐した道を歩き始めたのだろう。
納得はしなかったと思う。
それまでのあれやこれやは、エイヤッと目をつぶってポケットに詰め込んだのに違いない。

曲を聴くたび今ではだいぶ小さくなったが焦燥感に襲われることがある。
振り向きたくはないのだが、こし方のあちこちに後悔の塊が落ちているのが見えるのだ。

投稿: 日月 明 | 2021年11月16日 (火) 16時39分

高校時代仲良しだった友人が東京の高校に転校しました。抜け弁天前行きと言う電車の駅がありました。ごみごみした街の小さな下宿屋で彼女は従妹と二人で借りていて、夏休みに彼女たちが帰省した時、代わりに私が一人で泊っていました。渋谷駅の近所で映画を観たり東大生になったつもりで三四郎池を眺めたりして、家に居て兄嫁との息がつまりそうな日常から逃れていました。方向音痴の私が迷子にもならずによく歩き回れたと今でも不思議に思います。
それにしても下宿屋さんが何にも言わずに私を黙って見守って下さった事に感謝しています。ここで出会った彼は私の永遠の人になって、心の中に数十年経っても消えることなく生きています。出会った皆さんの優しさに感謝しています。素晴らしい青春の思い出はいつも感謝と共にあります。

投稿: ハコベの花 | 2021年11月17日 (水) 16時31分

私は高校生で下宿生活を経験しました。医学部(3浪)の方1名、その他の学部の方1名、受験生1名、その他大勢3名でした。毎晩風呂屋に一緒に通いました。賄い付きでしたが何を食べたか全く思い出せません。ただ毎朝玄関の前を通る女子高生を待ち伏せた事は今でも鮮明に記憶しています。

投稿: 海道 | 2021年11月20日 (土) 16時50分

この曲も詩も、僕の卒業前の気持ちと合っていません。

あまりにもリズムが軽快な感じなので・・・
それに女友達との関係のことなど僕には全く無縁だから。


ただ唯一合っていると言えるのは「だらだら坂」です。

夕刻になるとだらだら坂を下って銭湯に行きました。
銭湯の帰りにいつもの食堂で食事を済ませ、
だらだら坂を上って三畳の部屋に戻りました。

毎日この往復で2時間、だらだらと時間が過ぎていたなぁと思います。
その他の時間、何をしていたんだろう・・・思い出せません。

下宿の仲間たちが集まって話をすることは良くありました。

女友達の話もしてました。
僕には自分とは違う世界の話なので「ふ~ん、そうなの」と聞き流していました。

級友のノートを手書きで写させてもらってやっと卒業の単位が取れました。
名のある企業数社にはには書類選考ではねられました。
やっとのことで小さな会社に内定を頂きました。

ある者は「大学院に行くことになった」と告げました。
「おめでとう」という気持ちは生じませんでした。
なんだ、お前、頭良かったんだな、と思いました。

みんないつの間にかいなくなり、
街を歩きながらいつの間にか自分を取り囲む世界が変わってしまったことを感じ、
取り残されている感じに浸っていました。

唯一小さな会社に内定していることが慰めで、
将来の希望に繋がっていたように思い出します。

そうなんだ、俺ってもともと勉強なんかできるタイプの男じゃないんだ、
と気持ちを取り直し、卒業後の仕事に何か前向きな気持ちが生じました。

投稿: yoko | 2021年11月23日 (火) 22時27分

yokoさま、ショートショートの短編を読みました。

投稿: konoha | 2021年11月24日 (水) 09時55分

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