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2022年11月30日 (水)

純子

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞・作曲:遠藤 実、唄:小林 旭

1 遊び上手なやつに
  だまされていると聞いた
  噂だけだね 純子
  純子 僕は淋しい

2 いつか目ざめた朝は
  そばに可愛くいたね
  ふるえながらも 純子
  純子 愛をくれたね

3 離ればなれでいても
  忘れはしないよ僕は
  負けちゃいけない 純子
  純子 待ってておくれ

4 風は話をつくる
  だから噂はきかない
  信じているのさ 純子
  純子 便りをおくれ

《蛇足》 ウクライナ民謡『小さいグミの木』に寄せられたjunkoさんの一連のコメントを読んでいるうちに、私の鈍麻した感性が刺激されて、青春期の息吹が束の間戻ったかのように感じました。

 片恋だったのか、そうではなく、やむを得ない理由で別れることになったのかはわかりませんが、その思いを数十年間保ち続けたjunkoさん。思い人の消息がわかったのが、たまたま私のブログであったことを嬉しく思います。
 投稿コメントに一通り目を通している私には、彼女のコメントが誰に宛てたものか、なんとなくわかるような気がします。しかし、まったくの勘違いかもしれないので、私の想像の内にとどめておきましょう。

 そういうわけで、ジュンコという名前に興味が湧き、そういうタイトルの歌があったら、mp3にしてみようと思い立ちました。ざっと調べたところでは、長渕剛の『順子』(昭和55年〈1980〉5月25日発売)と、小林旭の『純子』(昭和46年〈1971〉10月25日発売)がありました。

 どちらにしようか迷いましたが、『順子』は、若者特有の性急な求愛の歌で、大人の恋には合わないと思いました。『純子』も、junko的アフェクションとはイメージもシチュエーションも違う演歌ですが、少なくともメロディーにはしっとり感があるので、こちらにしました。

 私に青春期の出来事や感覚を蘇らせてくれるロシア民謡(歌謡)は、『川岸のベンチで』『小さいグミの木』『モスクワ郊外の夕べ』で、ロシア民謡以外ではシャンソンの『ロマンス』、アメリカ民謡の『赤い川の谷』です。

 (二木紘三)

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コメント

 消えた前の交流掲示板に書きましたが、
小林旭さんがプライベートで近くのゴルフ場に来られたことがあります。
お友達が当地におられたようで、叶弦大さん達も一緒でした。
下の息子をおんぶして友達を誘って追っ掛けをしました。

 えっ? 平成21年発売?
色紙に“純子”と書かれたのですが、背中の子は未だ1歳半でした。
調べたら昭和46年6月20日のようですね。

投稿: なち | 2022年12月 1日 (木) 15時14分

なち様
『純子」の発売年、調査不足でした。あらためて確認し、修正しました。ありがとうございました。

投稿: 管理人 | 2022年12月 1日 (木) 17時49分

「純子」ここでこの曲の歌詞を見つめながら、静かにメロディを聴いていると、作曲家遠藤実が作成したこの唄は、まさに小林旭のために書き下ろした作品ではないのか、私はこの唄の作風を思うとそんな思いがしてきます!

この曲が出る前の「ついて来るかい」「ごめんね」そして、この曲の後に出た「オロロン慕情」昭和45年から46年にかけて、このころの小林旭の唄には遠藤実の作品が続きました。いずれの唄も私の大好きな唄ではありましたが、しかしそれらの曲は時々ラジオから流れてはいましたが、さほど『ヒットした・・』というところまではいかなかったような、当時勤労学生だった私にはそんな記憶があります。
今、おもむろに当時を振り返ってみれば、この時代は映画界自体も廃れはじめかけていて、さらに小林旭自身も、手掛けた事業に失敗して多額の債務を負って最大のピンチを迎えていたころ(当時の週刊誌の記事を読んで知る)で、小林旭の最も低迷期だったような気がします。幼いころから小林旭ファンだった私は、少しでも早く小林旭に復活して欲しいと、当時は真剣に思ったりしたことを今でも憶えています。
ところがその数年後、私が予期もしなかった、星野哲郎と叶玄大コンビによる作品「昔の名前で出ています」が、数年をかけて大ヒットしていき、その後も同コンビによる作品等で次々とヒット曲を飛ばし、紅白にも連続出場するなど、歌手として見事に復活を遂げ、その後もずっと活躍し続けていく小林旭のその姿を日々テレビ等で観ながら、私はそんな状況を心の底から嬉しく思ったものでした。

「純子」私にとって想い出深いこの唄が、まさかここにアップされるとは夢にも思いませんでした。それがこの度、今でも時々YouTubeで視聴するほど大好きなこの唄に、こうしてこの度コメント投稿できたことを、私は本当に嬉しく思います。

投稿: 芳勝 | 2022年12月 2日 (金) 22時49分

『小さいグミの木』への junko さんのコメントから ジュンコ のタイトルの曲を選ばれたとのこと、心うきうきする気持ちでした。もっとも、グミの木を育てるjunkoさんと演歌調のうたとはずいぶん雰囲気が違いますね。

投稿: Kirigirisu | 2022年12月14日 (水) 23時47分

こんな私のことを取り上げて下さって、mp3にして頂いてうれしく思います。演歌ですが曲は
好きです。素朴で飾り気がなくて。先生の編曲がいいのかなぁ
芳勝様がおっしゃっているように小林旭のための作品だとおもいます。
詞に関しては半分、なぜか自分を思わせる気がします。
1番. 危なげなこともありました
が大丈夫でした
2番. 愛を降り注ぎました
3番. 私も待っています
4番. 私も欲しいです

kirigirisuさんがうきうきしたように私も ウキウキです。
kirigirisuさんも芳勝様もそして
kazu様も「じゅんこ」さんにまつわる大切な思い出があるようですね。

投稿: junko | 2022年12月15日 (木) 22時59分

この歌は、知りませんでした。
この歌が世に出た昭和46年といえば、私が社会人になって10年目、公私(仕事、家庭)にわたり多忙で、新しい歌謡曲を楽しむ余裕がなかったからだろうと思います。

でも、二木オーケストラによる演奏を、何度か聴いているうち、なかなかいい歌だなあと思うようになりました。
長調の美しいメロディ、ゆったり感があるテンポ、別れが謳われていることなど、全体的な曲想から、『北帰行』(宇田博 作詞・作曲 小林旭 唄 S36)を連想します。

ついでながら、この歌をアップされた二木先生の思い、そのきっかけになった、junko様の思い(’22-12-15信)などを拝読し、”歌”を通じてこのような新たな場も生まれるのだなあと、ほっこりした気持ちになっております。

投稿: yasushi | 2022年12月18日 (日) 13時47分

じゅんこさんは、私を子供の頃から可愛がって下さった近所のお年寄りの孫娘でした。四十数年前、その縁で交際をしました。お名前の字はこの歌の純子ではありませんでしたが純粋なかたでした。仲睦まじい交際で私はとても幸せでした。赤い糸で結ばれた二人と強く思いました。ところが、突然振られました。一つの原因は私が女心を全く知らない人間で、女の人は好きだと言われると嬉しいのだということすら知らず、一度も好きだと言わなかったことです。一番の原因は、ずっと後になってわかったことですが、思いもよらぬ誤解を彼女の父親がなさったことです。どこでどうしておられるやらわかりませんが、今は誤解が解けていることを望んでいます。「純子」という歌も「順子」という歌も、聞くと切ないです。

投稿: kazu | 2022年12月19日 (月) 23時21分

お見苦しい話をお見せし恐縮です。心が乱れ、二木先生には先の投稿の修正を何度もお願いしご迷惑をおかけしました。じゅんこさんのお幸せを祈っております。ご投稿の junko さんのお幸せを祈っております。

投稿: kazu | 2022年12月26日 (月) 12時40分

kazuさま 全然見苦しくないと思います。色々な生き様があります。私だって本当に恥ずかしくて他人に知られたくないことを文章にしています。しかも
何十年も以前のことを・・・
でも事実であるからこそ伝えたい。その気持ちの方が勝つのです。二木先生のうた物語と出会う前は一人で思い、涙すること
が多かったのです。他の方のひかりのメッセ―ジを読むことによって心が強くなってきたように思います。そして曲があるのがまたいいと 思います。前のyasushi様が歌を通じてほっこりした気持ちになるのが良いと仰っています。嬉しいですね。そういう風に受けとっていただいて。kazuさま、年下の私が言うのもどうかと思いますが5年前に
投稿して下さったときに既に同じツボを感じられる仲間だと思いました。「人は近づくとつらくなり離れると切なくなる」ドラマの中の台詞ですが人間の絡み合いで人生が出来ているということなのでしょうか。

P・Cからスマホに変えたのですが何度か画面がとんでしまい、確認画面が小さいので長い文章書いたときは大変です。とても時間がかかってしまい、疲れました 。何を言いたいのかわからなくなってしまいました。
終わりにします。

投稿: junko | 2022年12月27日 (火) 01時40分

じゅんこさんは心のきれいな人でした。私をかわいがってくださったそのおじいさんが心のきれいな人でしたから、それを受け継いでいたと思います。「小さいグミの木」への Junko さんのご投稿を拝見した時、じゅんこさんのように心のきれいな人に対している気持ちがしました。また、この歌のブログに投稿されるかたは心のきれいな人が多いと思います。

投稿: kazu | 2022年12月27日 (火) 10時21分

kazu様 ほんとうはkazu様に
『いつも応援して頂いてありがとうございます』と伝えたかったのが1番だったのですが最初からそう告げるべきだったと後悔しています。余計なことを書いてしまい支離滅裂になってしまいました。夜中で眠気も加わり
文章がとんでしまったのもきっと居眠りしていたのでしょうね
大変失礼しました。申し訳ございません。( 忘れてくださいネ)
よいお年をお迎えください

投稿: junko | 2022年12月28日 (水) 18時13分

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