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2023年1月 1日 (日)

村の鍛冶屋

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


文部省唱歌

1 暫時(しばし)も止(や)まずに 槌(つち)うつ響
  飛び散る火の花 はしる湯玉(ゆだま)
  鞴(ふいご)の風さえ 息をもつがず
  仕事に精出す 村の鍛冶屋

2 あるじは名高き いっこく老爺(おやじ)
  早起き早寝の 病(やまい)知らず
  鉄より堅(かた)しと 誇れる腕に
  勝(まさ)りて堅きは 彼がこころ

3 刀はうたねど 大鎌小鎌(おおがまこがま)
  馬鍬(まぐわ)に作鍬(さくぐわ) 鋤(すき)よ鉈(なた)
  平和の打ち物 休まずうちて
  日毎(ひごと)に戦う 懶惰(らんだ)の敵と

4 稼ぐにおいつく 貧乏なくて
  名物鍛冶屋は 日日(ひび)に繁昌(はんじょう)
  あたりに類(るい)なき 仕事のほまれ
  槌うつ響に まして高し

昭和22年改定後の歌詞
1 しばしも休まず 槌うつ響き
  飛びちる火花よ はしる湯玉
  ふいごの風さえ 息をもつがず  
  仕事にせい出す 村のかじ屋

2 あるじは名高い 働きものよ
  早起き早寝の やまい知らず
  永年きたえた じまんの腕で
  うち出す鋤鍬 心こもる

Photo_20221228113901
上のイラストは、2023年の年賀状用に描いたもの。作業場があるのに露天で仕事をしているのがツッコミどころ。

《蛇足》 大正元年1912)12月発行の『尋常小学唱歌(四)』に掲載されたのが初出。
 上の歌詞欄では、現代仮名遣いおよび新
体に変えて掲載しました。

  以後音楽教科書への掲載は続きましたが、昭和17年(1942)発行の国民学校第四学年用『初等科音楽二』では、「暫時もやまずに」が「しばしも休まず」に、「いつこく老爺」が「いつこく者よ」など口語表現に変えられ、さらに3番、4番が削除されました。

 敗戦後の昭和22年(1947)に発行された音楽教科書では、新しく採用された歌が中心で、戦時中の唱歌は削除されるか、歌詞を変えて掲載されました。
 『四年生の音楽』に掲載された『村の鍛冶屋』、昭和17年版とほぼ同じですが、「いっこく者よ」が「はたらき者よ」になるなど3か所が変えられ、タイトルも『村のかじや』と平仮名になりました。

 教科書への掲載は続き、愛唱されましたが、農林業が機械化され始めた昭和30年代頃から次第に掲載されなくなり、昭和60年(1985)には、すべての教科書から消滅しました。

 鍛冶屋がほとんど見られなくなり、市町村合併で村が激減した状況では、しかたないことかもしれません。
 とはいえ、いささか残念です。鍛冶屋は、小説や童話、漫画にはよく出てくるんですけどね。

 鍛冶屋には、野鍛冶、専門鍛冶、刀鍛冶(刀工)の3種類があります。

 この歌に歌われているのは野鍛冶で、農林業や家庭で使う鉄製品を作ったり修理したりするのが仕事。
 専門鍛冶は、刃物や調理用品、食器など特定の製品だけを作る職人です。
 刀鍛冶は、文字通り刀剣を作る専門家ですが、条件が厳しく、なるのがなかなかむずかしいそうです。

 鍛冶屋や農機具に疎い世代の人のために、歌詞に出てくる道具について、少し説明しておきましょう。

 鉄から道具を作るには、まず炭火で鉄を真っ赤に熱してから鉄の台の上で金槌で叩きます。これを繰り返しながら、必要な形に整えていきます。炭は、備長炭など火力の強い白炭を使うのが普通です。火力を高めるための送風機がふいごです。

 必要な形ができたら、真っ赤に熱した鉄を水につけます。これを焼入れといい、これにより鉄は固く強くなります。
 熱した鉄を水につけると、その周りの水が急速に湧き立ち、湯が玉になって飛び散ります。これが湯玉です。

 馬鍬は木の柱に10本前後の鉄の刃を植え付けた農具で、これを牛や馬に牽かせて、田畑の土を砕いてならします。田植えの前の代掻きなどに使います。

 作鍬は、ただ鍬とだけいうことが多く、木製の柄(え)と鋭角に鉄の刃がついた道具で、人力で土を掘り起こすのに使われます。刃の形はさまざまで、長方形の1枚の刃で構成されているものや、フォークのように3本か4本の刃に分かれているものなどがあります。

 鋤は、幅の広い長方形の刃に、まっすぐに柄がついたシャベルのような道具。土を掘り起こすための道具です。
 畑や山に仕事にいった人が、昼飯時に魚や鳥、猪の肉を鋤の上に乗せて焼いて食べたのがすき焼きの始まりという説があります。

 その他の言葉についていうと、いっこくは、ニュアンスは違いますが、頑固とほぼ同じです。
 懶惰は、怠けること、面倒くさがること。

                                **********

 このページの最上部・タイトル下の正方形の絵は、今話題のAIによるドローイングシステムで描いてみたものです。AIドローイングシステムは、ありとあらゆる種類の絵や、絵に描かれるような状況をAIに覚え込ませ、それに基づいてイラストや画像を描かせるシステムです。

 私が「"village blacksmith and children watching him" manga comics」というキーワードで描かせてみたところ、上の油絵風の絵が出てきました。
 manga comicsは、キーワードとしては効かなかったようなので、これを外したり、別のキーワードを使ったりして、3,4のサービスを試してみましたが、いずれもヨーロッパ中世の貧乏村の風景しか出てきませんでした。
 どうも、日本を含め、アジア各地域の絵のデータは、まだほとんど覚え込ませていないようです。日本語化されていないことも関係あるかもしれません
(2022年12月現在)

 AIドローイングシステムは、本の挿絵程度なら、アウトプット後に手直しすれば、今のレベルでも十分使えるようです。
 AIの進歩は急速なので、個性的な絵も遠からず描けるようになるでしょう。

 AIがあまり進歩すると、人間の仕事が奪われるのではないかと心配する人がいます。分野によっては一時的にそういう状況が現れるかもしれませんが、やがてAIと折り合った安定した社会になるはずです。

 AI囲碁、AI将棋は、人間の棋士がとうてい及ばないレベルに達していますが、棋士は健在です。むしろ、棋力を高めるのにAIを利用するというふうな使い方をしていると聞きます。
 AIがいくら進歩しても、それを使うのは人間ですから、あまり心配する必要はないと思います。

(二木紘三)

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コメント

小学校低学年のころ、女の子たちが、ゴム跳びをしながら「村のかじや」や「まぼろし探偵」を歌っていました。改訂前の歌詞だったら遊び歌にはとてもなれなかったでしょうね。特段の親しみがあるわけではありませんが、シンプルな旋律と歌詞で、私の記憶の隅から出て行きません。そんな訳で、「夜更かし、朝寝で病だらけ」などと節をつけて歌い、気ままな引退後の生活をわらっています。

 イラストは二木先生ご自身ではなく、AIドローイングシステムが描いたとのことですから、少し小言幸兵衛を。
1. かなとこ(鉄床)は頑丈な鉄の固まりでなければだめ。4本脚では鎚を振り下ろすと同時につぶれるでしょう。
2. ふいごは(鞴)は、もっと大きな箱鞴に。イラストの鞴は欧米の、それも火吹き竹代わりに使う程度のもの。
3. もう少しうるさく。この絵で言うと、手前から鞴、火床、90度向きを変えてかなとこを配置しないと、仕事にならない。

 映像や絵画の論理を理解しても、まんが日本昔話の絵にも茶々を入れてきたマイナーな業界の人間ですからお許しを。AIが作曲をし、小説を書くと言っても、人が動き方とデータを教えているからでき、有用なことや、話題性のあるものが先行するのは当然のこと。AIの有効性を認識するなら、マイナーなどと言っていないで、私たち自身が教えなければならないのですね。

 元旦早々のアップありがとうございました。今年も楽しませていただきます。

投稿: Kirigirisu | 2023年1月 3日 (火) 16時30分

Kirigirisu様
歌詞の下の大きな絵は、私がPhotoshopというソフトを使って"手動"で描いたものです。AIは使っていせん。もともと絵は下手なので、私の技術ではお小言のように正確には描けません😅。

AIで描いたのは、このページの最上部、プレイヤーの左側にある油絵風の正方形の絵です。

「童謡・唱歌・アニメ」に入っているいくつかの絵は、私がPhotoshopで描いたものです。水彩で描いたものも少しあります。『雪の降る街を』や『少年時代』もPhotoshopで描きました。『寒い朝』や『お使いは自転車に乗って』は、はがき絵として手描きしたものの流用です。下手なのが味だと思ってくだされば幸いです。
Photoshopはプロ用の写真・画像の作成・加工ソフトで、多彩な機能がありますが、私はそのうちのほんの一部しか使っていません。

投稿: 二木紘三 | 2023年1月 3日 (火) 17時35分

『村の鍛冶屋』も『村祭り』も音楽の教科書から消えて久しいです。平成の合併で村そのものが消失しているのもありますが、村という言葉は古臭いとか、封建的というイメージが強い様です。これを英語のvillageと呼ぶとイメージが良くなり、都会の住宅街にも使われています。
蛇足にもありますが、鍛冶屋を英語ではblacksmithと言います。Smithは人の名前ですが、職人という意味もあり、黒い鉄を扱う職人であるからblacksmithと呼ばれる様になった様です。
我が国の苗字は地名に由来するものが多いですが、英語圏では職業に由来するものも多いです。Shoemakerさんや、Cookさんなど、枚挙に暇がありません。Falconer(鷹匠)さんというのもあります。

投稿: Yoshi | 2023年1月 3日 (火) 18時05分

 明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。
昨年末から新年の歌は何だろうと考えていました。すでに僅かになってしまった記憶の中で、あれやこれやと楽しんでいました。「村の鍛冶屋」そうきたかと思いました。懐かしいですね。すっかり忘れていました。

 1912年が初出とのこと、歌詞は私たちが習った歌詞とは趣が違いますね。2番から4番までの歌詞はなかなか勇壮で時代そのものを感じます。歌詞の中にまるでサムライ魂が入っているようです。

 侍というと鎧兜ですが、映画の中に村の鍛冶屋の風景はほとんど出てきません。でもヨーロッパの時代物には結構村の鍛冶屋が登場しますね。それこそドラマの1人になっています。鍛冶屋が自分の甲冑を打って、戦いに出かけて行きます。

 脱線のついでに、kirigirisuさまの「小言幸兵衛」で圓生の落語を思い出しました。長屋の差配のおじいさんが店子になりたいという仕立屋の息子とその長屋に住んでいる娘の死出の道行で、お経をあげるのですが、それが傑作で声をあげて笑ってしまいます。久しぶりに「小言幸兵衛」の文字を目にしました。

投稿: konoha | 2023年1月 3日 (火) 20時22分

鹿児島の知覧の高校に勤務していた時に、知覧町に住んでいました。30年ほど前のことです。その街にはまだ鍛冶屋さんがいらして、家内は包丁を作ってもらいました。
なお、特攻おばさんの鳥浜トメさんもご存命でした。その孫の明久君にも授業をしました。5年ほど前に彼に福岡市で再会しました。残念なことに昨年だったか、鬼籍に入りました。教え子に先立たれました。冥福を祈っています。

投稿: 江尻陽一 | 2023年1月 3日 (火) 22時22分

 私はこの歌が好きで、今でも何かの時ふと口について出るほどです。私が覚えているのは昭和22年改訂版ですが、前の歌詞はこんなに長かったのですね。二木先生は結構なお年だと思いますが、メカに強いですね。羨ましいです。
 私は、この歌はキーボードで両手で弾ける数少ない曲です。あと、谷村新司の「いい日旅立ち」も弾けます。「生きがい大学」の音楽科で習ったのです。前は老人施設で紙芝居実演をした後、皆さんと唱歌・抒情歌などを歌っていました。懐かしい曲をありがとうございました。
 一昨年、知らない方から突然お電話を頂きました。聞けば92歳で現役の紙芝居実演家であり、ハーモニカ演奏もして老人施設などでボランティアをされているそうです。ご自分で紙芝居の絵を描き、ストーリーもご自分で作った作品がたくさんあるそうです。後日手紙も頂きましたが、数種類のカラーを使ったイラストや写真も描かれていました。私は81歳ですが、この方を目標にして生きて行きたいと思っています。

投稿: 吟二 | 2023年1月 4日 (水) 01時14分

 新年あけましておめでとうございます。二木先生が「村の鍛冶屋」をアップされ、沢山のお名前が見えるようになりました。
 夫々の「村の鍛冶屋」にまつわるお話、楽しいです。私は 鍛冶屋の長男、小柄で力持ちの「ちょろ」君を思い出します。昭和31年、中学校の同クラス。満州から無一文で引揚、鍛冶屋を選んだ頑固親父さんから厳しく躾けられていた彼。中学校に通っている間は、ネズミのようにちょろちょろ動き回り、あだ名が定着していた。
  
 ちょろ君はスポーツ万能で人気者。休み時間は相撲をして遊んだ。ちょろ君は 仕切った後、相手の体の下にもぐり、仏壇返しで相手を裏返しにした。彼の得意技を怖がられた。誰もマネできなかった。学校から帰ると厳しい親父さんの手伝いで、重いトンカチを持ち上げ熱い鉄を打たされたと、後年語ってくれた。
 彼は 鍛冶屋を継がずに役場に勤めた。青年団の相撲大会でも活躍、70歳過ぎたらソフトボールの選手としてちょろちょろ大会に出ていたそうだ。
 今年 80歳を迎えてもヨタヨタ ヨロヨロしてないと元気な賀状が届いた。

投稿: けん | 2023年1月 4日 (水) 09時19分

 二木 先生
「プレイヤーの左の絵は」 を理解せず、「上のイラストは、2023年の年賀状用に描いたもの。」 を無視して、イラストとAI論だけを見て前のコメントを書いてしまいました。失礼をお許しください。

 いつも先生のテキストとコメントに目がいってしまいますが、先生のブログは音楽、画像を含むトータルなものなのですね。図を作っても絵を描くことがなかった私は、フォットショップも色調変換くらいしか使いませんでした。
 
それにしても、先生のお返事に絵文字があるのを見て、口元がほころびました。膨大な量の先生の解説、フォロワーのコメントで初めてではないでしょうか。

投稿: Kirigirisu | 2023年1月 4日 (水) 11時45分

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申しあげます!

「村の鍛冶屋」歳の初めに、幼いころより大好きで懐かしいこの唱歌がここにアップされたことを私は今とても嬉しく思っております。
故郷の小学校に通っていた四年生の時の教室で、一番好きだった担任のM(女性)先生が弾くオルガンの伴奏で私たちはこの唄を習いました。素朴でほのぼのとしてくるようなこのメロディを、ここで繰り返し聴いてると、60年前の楽しかった教室でのその光景が、今走馬灯のように蘇ってきます。

投稿: 芳勝 | 2023年1月 4日 (水) 15時37分

生来軟弱な私は此の歌に親しみを感じませんでした。自然と恋愛を主な主題とする日本の詩歌の伝統に馴染んだ私の感性には少々違和感があるからです。一言でいえば美しくない。

でも、私の亡母は鍛冶屋の娘でした。母自身も詳しいことは知らなかったようですが、先祖は京都所司代から禁裏御用鍛冶の称号を与えられ、経緯不明ながら代々松代藩に仕え上田城出入りの刀鍛冶だった、ということでした。
ところが祖父の代に明治維新を迎え、それにより仕事を失いました。
それから、どういう縁故を辿ってか、北安曇の南小谷の地に流れ着き、北に向かって流れる姫川の西岸に居を構えたのです。そこでわずかな田圃と畑の耕作、鍛冶屋とで零落とまでは言わないにしても、豊かとは言えないたつきを営んだのです。
刀鍛冶から鎌や鍬などただの鍛冶屋への変化をどう感じたのかは分かりませんが、楽しくはなかっただろうと思います。
小さな寒村ですから「稼ぐに追い付く貧乏なくて日々繁昌」状態ではなかったでしょう。
それでも、祖父は職人というよりは侍気分の方が勝っていたらしく、来客があると「ささ、そこは端近、いざまづ此れへ」等とまことに堅苦しい人だったと、母は語っていました。
学生の頃、伯父から「佐久間象山から貰った手紙」というものを見せられたことがありますが、当時の私は「へーッ」と驚いてはみせたものの左程興味もなく、真偽のほども不明でです。
母の実家は「故郷の廃家」を飛び越えて「故郷の更地」になっています。方丈記の冒頭が惻々と心に迫ってくる風景です。更地の上には百年以上にわたる家族の喜怒哀楽の営みが今なお縹渺と揺曳しているのではないかと、不図幻想を抱いたりします。
この歌は、家族(母方)の歴史に思いを馳せるよすがであります。父は――大人しい江戸っ子でした。

投稿: ナカガワヒデオ | 2023年1月 4日 (水) 16時44分

 2023年1月4日のけん様のコメントを見て、私と同年配の方とお見受けしました。我々の時代は、休み時間になると子供たちは、砂場で相撲を取るのが常でした。3角ベースの野球もありましたが、グローブは母親から作ってもらった布製、球も中に芯を入れた布製、バットは竹とかの木製でしたね。休み時間にサッカーなどは次世代の人たちです。アメリカ音楽はジャズもありましたが、熱狂したのはロカビリー。ポールアンカやプレスリーでした。毛色の変わったところでは、バラードのパットブーンなどもいました。だから私たちは、その後人気絶頂となった英国ロックバンド「ビートルズ」は馴染めませんでした。
 歌を歌わせたらその人の年齢が大体わかりますね。
 

投稿: 吟二 | 2023年1月 4日 (水) 21時56分

懐かしい歌です。我が家にもフイゴがあって、毎朝職人たちが地面を掘った穴にコークス話入れ、フイゴで風を送り真っ赤に火をおこし、セットやノミを焼き、刃先を鉄の台の上で叩いていました。フイゴは木製で長さは50センチ以上はあったと思います。小学生だった兄たちは学校の帽子の徽章を焼いておもちゃを作って遊んでいました。
昭和35年頃にタンガロイという強い刃先が出来てノミなどは焼かなくてもよくなりフイゴもなくなってしまいました。私には懐かしい時代を思い出させてくれる歌です。

投稿: ハコベの花 | 2023年1月 8日 (日) 16時50分

遠い昔を思い出して懐かしいです。
隣村の母の実家の近くと、小学校(中学校)へ行く近道の通りに鍛冶屋さんがありました。
学校へ行く時に仕事をされていたので「帰る頃にもされていたら見せてもらおう」と
朝少しだけ見たのですが、鍛冶屋さんの朝は早いですね。
農家には欠かせない大事な道具は沢山あります。

 お気に入りにしている ふるさとの山陽新聞、打初式の動画を観ていて、
台所のお手伝いをする時に、灰にならないうちに消し炭を作っていたのを思い出しました。

投稿: なち | 2023年1月 8日 (日) 19時00分

なちさんいいですね。その通りです。学校の行き帰り寄り道してよく見ていました。
足踏みのふいご、焼けて赤い鉄を水に入れるときの水蒸気や、ジュっという音のスリル。鉄の形がだんだん、とぐわやみつぐわになっていく様子、飛び散る火花。もう2度と見ることはないでしょうね。
また消し炭なんて言葉も死語に近い。バーベキューの残り炭を取っておくことはありますが、消し炭入れの黒い瓦の消し炭ツボなどがありません。もう6.70年くらい前になるでしょうか、昔のふるさとの子供のころの村の風景というか思い出です。

投稿: 遠木道程 | 2023年1月 9日 (月) 00時59分

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