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2023年8月26日 (土)

オリーブの首飾り

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞・作曲:クロード・モーガン、日本語詞:なかにし礼

青い空へ 胸をはずませて
鳥のように 私は今旅立つ
走り書きの 別れの手紙を
ターミナルのポストに 投げ入れたわ

オリーブをつないだ 首飾りを
ギリシャの 石畳沿いの店で
みつけたいの
あなたをまだ 愛しているけど
恋はある日 突然終るものよ

追わないでね わたしを
もう一人の 自分と出逢いたい
だから愛を 棄てて来たの
好きだけれど さよなら あなた

オリーブをつないだ 首飾りが
私の襟元で 地中海の色に染まる
二人だけの 思い出づくりの
愛は心やさしい 道化芝居

追わないでね 私を
まだ知らない 自分をみつけたい
だから一人 旅に出たの
好きだけれど さよなら あなた

     El bimbo

El Bimbo, El Bimbo
Baila con su sombrero, su cola y su bastón
Y con su ritmo latino
Hace feliz a cada corazón

El Bimbo, El Bimbo
Es el rey de la pista con su cara de gitano
Y con su aire de conquista
Enamora a todas las mujeres
que bailan a su lado

El Bimbo, El Bimbo
No tiene más que un sueño, ser el dueño del salón
Y que la gente lo admire
Por su estilo y su valor

El Bimbo, El Bimbo
Sabe que es el mejor
y no le importa el qué dirán
Porque él vive para el baile
Y el baile es toda su pasión

《蛇足》 イージーリスニングの人気曲の1つ。松旭斎(しょうきょくさい)すみえや引田天功(ひきた・てんこう)の奇術ショーでBGMとして使われたことを記憶している人は少なくないでしょう。ある世代以上の人に限られると思いますが。

 『オリーブの首飾り』の原曲は《El Bimbo》なので、まずこの曲の成立過程から見ていきましょう。

 1973年、パリのミシェル劇場で芝居が上演されることになり、その挿入曲の作曲が売出し中のシンガー・ソングライター、クロード・モーガン(Claude Morgan 1947-)に依頼されました。
 芝居は不評でしたが、曲は好評だったので、『スラグ・ソリューション』というタイトルでレコードが発売され、ヒットしました。

 クロードにはローラン・ロッシ(Laurent Rossi 1948-2015)という音楽友達があり、2人は話し合って、クロードの曲をユーロディスコ風にブラッシュアップして売り出そうと決めました。
 そして、曲名は《El Bimbo》とし、ビンボー・ジェットというグループを結成して、演奏することにしました。
 2人はいくつかのレコード会社に売り込みましたが、できたばかりで実績のないバンドということで、乗ってくるところはありませんでした。

 そこで2人は、ローランの父親で、著名な歌手で俳優のティノ・ロッシ(Tino Rossi 1907-1983)に頼ることにしました。彼は、パテ・マルコーニ EMIというレコード会社の契約歌手だったのです。
 社内にはかなりの懸念があったようですが、大物の推薦ということで、ビンボー・ジェットは、なんとか同社と契約を結ぶことができました。

 《El Bimbo》は、インストゥルメンタルとヴォーカル付きの2ヴァージョンが作られました。後者の歌詞はクロードがスペイン語で作り、ローランが歌いました。また、テレビやライブでは、ダンスグループによる派手なビジュアルがつきました。
 発売は1974年6月。

 ただし、後者のヴァージョンは、その前年にキューバ人の人気シンガー、ラウル・ゼケイラ(Raoul Zequeira)がラテン系ミュージック・グループとともに歌い、パテ・マルコーニ EMIから発売しています。
 そのヴォーカルは、録音時にゼケイラが即興でつけたもので、ほとんどビンボー、アーアーと掛け声の繰り返しで、意味のある単語はわずかしかなく、歌詞と呼べるようなものではありませんでした。

 ビンボー・ジェットの《El Bimbo》は、世界的な大ヒットとなりました。
 リリースされると、たちまちフランスでのレコード売上数が1位になり、イギリスでは10週間ランクインし、全英シングル・チャートで12位を記録しました。
 アメリカでも、ビルボード・ディスコ・シングルチャートで1位、ホットダンス・クラブ・プレイで2位、ホット100チャートで43位を記録。

 そのほか、スペイン、イタリア、オランダ、ベルギー、スイス、ドイツ、デンマーク、ハンガリーなど、ヨーロッパ各国でもチャートの1位または上位を占め、さらに、ペルー、メキシコ、アルゼンチンなど南米各国や、トルコ、レバノンなど中東各国でも旋風を巻き起こしました。

 カバー曲は、数え切れないほどあります。そのなかでも有名なのは、ビッグバンドを率いるポール・モーリアやレイモン・ルフェーブルがイージーリスニングに編曲した作品です。
 ポール・モーリアが
1975年にタンゴに編曲した曲は、ハリウッドのヒット映画シリーズ『ポリスアカデミー』全7作品のうち4作で使われました。

 ヒット曲を外国で発売する場合、その国に合ったタイトルをつけるのが普通ですが、なかには原題のままでヒットしたものもあります。シャンソンでは『サン・トワ・マミー』『ラ・ヴィ・アン・ローズ』『セ・シ・ボン』などがその例です。

 《El Bimbo》も、ほとんどの国でそのままでリリースされ、ヒットしました。
 しかし、少数ですが、別のタイトルに変えた国もあります。日本もその1つで、『オリーブの首飾り』というロマンチックなタイトルがつけられました。貧乏、貧乏と繰り返されたのでは、気分が落ち込みますもんね。

 ところで、El Bimboという言葉ですが、ネットではふしだら女とか浮気女を意味するスペイン語となっています。私は、女性を表すスペイン語なら、La Bimbaとなるはずなのに、なぜ男性形なのだろうと不審に思い、調べてみました。

 《Online Etymology Dictionary》などの資料によると、元は子どもとかやんちゃな子を意味するイタリア語のbambinoで、これが縮まってbimboになったとされています。1900年ごろ、イタリア移民がアメリカに持ち込み、俗語化したようです。
 1920年ごろ
までには、bimboは「だらしない男や女」を意味するようになりました。

 英語には文法上の性はないので、男性形のままで女性も指すようになったようです
 イタリア語の男性定冠詞でなく、スペイン語の男性定冠詞がつくようになったいきさつはわかりません。

 やがてbimboの意味から男が外れて、もっぱら女性に対する侮蔑語として使われるようになりました。
 ふしだら女とか浮気女程度ならともかく、◯◯マンなど、口に出すのもはばかれるほど酷い侮蔑語として使われることも多いようです。女性に対する侮蔑語としてのEl bimboは、スペインやドイツなど、ヨーロッパ各国にも広まりました。

 こうした侮蔑語をタイトルにした《El Bimbo》 の歌詞は、はたしてどんなものになったでしょうか。
 クロード・モーガンの
スペイン語の歌詞は、「ラテンのリズムで踊ると楽しく、ダンスフロアのキングのようになり、女性たちと恋に落ちる。夢はサロンのオーナーになること。ダンスが生きがいだから、人のいうことは気にしない」という陽気で単純な内容。
 この内容と、女性への侮蔑語であるbimboがどうしてもマッチしないのです。木に竹を接いだような違和感があり、不快な感じになります。

 イタリアのカンツオーネ歌手、ジリオラ・チンクエッティが歌ったスペイン語版も同じで、「bimboは踊ると気分がよくなる魔法のダンス。歌って踊って気分は最高。bimboは青春のリズム、愛のダンス。恋人たちも最高に盛り上がる」といった内容。
 bimboが何か所にも出てきますが、これが女性への侮蔑語だとすると、意味が通じなくなるし、ひどく下品になります。

 クロード・モーガンとローラン・ロッシが、広く世間に公表する歌に、そんな言葉をタイトルや歌詞に使ったり、グループ名につけたりするでしょうか。レコード会社も承知しないでしょう。

 《El Bimbo》という曲におけるbimboは、女性への侮蔑語ではなく、クロードたちが創始したビートの効いたダンサブルな音楽、あるいはそれに合わせたダンスを意味しているのではないでしょうか。チャチャチャやドドンパが、リズムの種類であると同時に、歌詞のなかでは囃子言葉になったりするのと似ています。
 ドドンパと同じく、リズムとしての生命が短かかっために、広まらなかったのではないかと私は思っています。

 クロード・モーガンの歌詞の第1聯「ビンボー、ビンボー、彼はソンブレロを被り、服の裾とステッキを振り回して踊っているよ。彼のラテンのリズムはみんなを幸福にするよ」や、ジリオラ・チンクエッティの歌の第1聯「ビンボーを踊りましょうよ。何がこんなに盛り上がらせるのかって? それは、あなたの胸にもろに響いてくるこのメロディよ」を見ると、そのことがよくわかります。

 作詞者なかにし礼も、タイトルEl Bimboの侮蔑性と歌詞の内容との乖離には、かなり戸惑ったようです。
 そこで、侮蔑語bimboのなかではいちばん軽く、場合によってはプラス評価になることもある"奔放な女"というイメージをベースに、邦題『オリーブの首飾り』のラブストーリー性を加味して日本語詞としたという感じです。お見事というほかありません。

 日本語詞としてはほかに、武田全弘作詞による下記のものがあります。こちらは、『オリーブの首飾り』というタイトルに合ったロマンチックな別れ歌になっています。初代うたのおにいさんで、『ビューティフル・サンデー』でメガヒットを飛ばした田中星児が歌いました。

夏になると オリーブの木には
白い花びらの においがこぼれる
君はいつか その枝を取って
僕に首飾りつくって 笑った

あの無邪気な若さが
僕の人生の思いを
甘く壊しながら夢にかえた

祈るような 君の指先が
僕の背をなでて さすらい続けた
あの別れの ひと時
悲しみが やはり堪えて
僕に見えたものは 揺れた光

冬が来ても オリーブはみどり
風に揺れながら いとしく輝く
もう君とは 会えない
熱い恋の火の香りは
僕の胸の中を 走りめぐる

そして今は そして今は
生きることも 愛してゆける

 《El Bimbo》については、アフガニスタンの大物シンガー・ソングライター、アフマド・ザヒール(Ahmad Zahir 1946-1979)との間に著作権紛争があります。《El Bimbo》がザヒールの《Tanha shodam》によく似ているというのです。
 《Tanha shodam》が収録されたザヒール
のLP《Lylee》のリリースが《El Bimbo》 より前か後かによって、盗作疑惑が変わってきます。双方決定的な証拠を出せないまま、今日に至っています。

(二木紘三)

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コメント

「オリーブの首飾り」私はこの曲を手品の「BGM」として初めて使用したと云われる、女性マジシャン・松旭斉すみえ氏の訃報を、我が家が購読している新聞記事の訃報欄で先々週偶然知りましたが、その時、昭和世代の私は心の片隅に少しの寂しさを知りました!

私がこの曲に魅せられたのは十代の頃でしたが、それはラジオポピュラー番組で初めて聴いた、ポールモーリア楽団の演奏によるものでした。その数年後に私が購入したポールモーリアグランドオーケストラ演奏のLPレコードアルバムの中にはもちろんこの曲が収録されていますが、他には「恋は水色」そして私の一番好きな「口笛の鳴る丘」も収録されています。
今日は久しぶりに44年前に購入したそのLPレコードアルバムを取り出してはじっくりと聴いてみましたが、やはりポールモーリアのアレンジ力は本当に素晴らしいと今日改めて私は実感させられた次第です。

<蛇足欄>に詳細に記されたこの曲についての解説を何度も興味深く読み返しましたが、その内容は私がこれまで無造作に想像していたこの曲のイメージとは若干かけ離れた感がありそれは意外なものでした。
<蛇足>『・・・侮辱語bimboの中ではいちばん軽く、場合によってはプラス評価になることもある”奔放な女”というイメージをベースに邦題『オリーブの首飾り』のラブストーリー性を加味して日本語詞とした感じです。お見事というほかありません。・・・』二木先生のこのご意見に私はまさに同感の思いを抱きます。

「オリーブの首飾り」私が十代のころ偶然に聴いていたラジオポピュラー番組中、アナウンサーからこの曲名が紹介された時、いったいどんなメロディなんだろうと、先ずはこの曲のタイトルに興味を持ったこと、そしてこのメロディが流れだしたその瞬間に好きになってしまったこと、私にはそんな当時の記憶があります。
これまでに日本人に愛されてきた数多くの洋楽の中でも、私が知る限りでは映画音楽として今でも多くの方々に愛され続けられている「禁じられた遊び」「夜霧のしのび逢い」なども、その曲名を聞いただけで興味を魅かれてしまうような魅力がある。言わば「邦題」としての最も代表的な成功例ではないでしょうか。

投稿: 芳勝 | 2023年8月29日 (火) 20時39分

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