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2023年10月 4日 (水)

青春の城下町

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:西沢 爽、作曲:遠藤 実、唄:梶 光夫

1 流れる雲よ 城山に
  のぼれば見える 君の家
  灯りが窓に ともるまで
  見つめていたっけ 逢いたくて
  ああ青春の 思い出は
  わがふるさとの 城下町

2 白壁坂道 武家屋敷
  はじめてふれた ほそい指
  ひとつちがいの 君だけど
  矢羽根の袂(たもと)が 可愛いくて
  ああ青春の 思い出は
  わがふるさとの 城下町

3 どこへも誰にも 嫁(い)かないと
  誓ってくれた 君だもの
  故郷に僕が 帰る日を
  待っておくれよ 天守閣
  ああ青春の 思い出は
  わがふるさとの 城下町

《蛇足》 昭和39年(1964)にコロムビアレコードから発売。

 梶光夫は遠藤実の門下生で、昭和38年(1963)にデビュー、3作めの『青春の城下町』が大ヒットとなりました。
 曲には、遠藤実独特の温かさがあるうえに、メロディだけ聞くと、一瞬童謡かなと思うほど素直なコード進行で、歌が苦手な人でも、無理なく歌えます。これが大ヒットの一因でしょう。

 また、歌詞には、城山、城下町、白壁、武家屋敷といった、郷愁を誘うアイテムが組み込まれており、これが地方出身者にアピールしたと思われます。

 冒頭に城山という言葉が出てきますが、どの城下町にも城山があるわけではありません。
 ウィキペディアによると、城山という名の山は全国に276山ありますが、その多くが中世の山城や砦に由来し、その地形ゆえに城下町はほとんど形成されませんでした。
 城下町が形成されるには、平城であることが必要なようです。

 城下町を見下ろせる城山は非常に少なく、鹿児島市の城山(しろやま)、松本市の城山(じょうやま)ぐらいしか、私は思いつきません。城下町の近くにある城山をご存知の方は、お知らせください。
 ただし、城山が近くにあっても、城下町に城(復元も含めて)か城跡がなければ、城下町というイメージは薄くなります。

 城下町は見下ろせても、「君の家の窓灯り」が見えるほど近くにある城山は、ほとんどないはず。少年は、城山の裾野の市街地に近い高みから眺めたのでしょうか。

 付き合っていなくても、好きな女の子の家の前を通るだけでときめいた経験のある人は、少なくないでしょう。まして、付き合っている女の子なら、その住む家は、彼にとっては「夢の家」になります。
 これは少年のセンチメントですが、少女も同様なのでしょうか。残念ながら、メッチェンの心情がわかるほどの経験は積んでこなかったので、なんともいえません。

 2番の矢羽根は、矢羽根模様の絣(かすり)、すなわち矢絣(やがすり)の着物を示しています。
 学校の式日に和服で行く女子が増えたのは、割と最近の風俗で、昭和40年前後には、セーラー服などの制服で行くのが一般的だったと思います。

 ですから、2人は、学校の式日ではなく、お祭りや花火大会などのイベントに行ったのだろうと思われます。彼女の着物姿を初めて見て、彼は舞い上がったことでしょう。
 ヘルマン・ヘッセ『青春はうるわし』の世界ですね。もう一度その世界に戻れたら、などと思いながら、身辺の始末を進めています。

(二木紘三)

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コメント

中世まで主流だった山城を平城に変えたのは武器だったと言われます。
即ち、刀や槍で戦った時代は攻め上がる側が不利であるため、防備上山の上に城を築いたが、鉄砲の普及で山城である必然性は無くなったとされています。その代りに堀や複雑な石垣で囲って本丸への接近を防ぎ、天守から敵を狙い撃ちできる様な構造になり、更に天下が統一された江戸時代、城は権力の象徴になって行ったとされています。
経済が重視される様になって城下町が築かれた時代は、城は平城になっていた筈で、確かに城下町に城山があるのは変ですね。それでも金沢城址は高い丘の上にありますし、松山城はロープウェイが設置されていますので、城山と言えると思います。
私は城址公園が好きです。そこに佇むと、つわものの栄枯盛衰が忍ばれ、悠久の時の流れを思います。先日埼玉県の行田市に仕事で行く機会があり、忍城(おしじょう)の城址公園を訪れました。小さな天守の平城ですが、秀吉の関東平定時に難攻を強いられたことで有名です。その辺の経緯は映画『のぼうの城』に描かれました。本当に小さな城ですが、城址の趣きは十分にあります。

投稿: Yoshi | 2023年10月 5日 (木) 10時30分

梶光夫と言えば高田美和とのデュエッ曲「わが愛を星に祈りて」「野菊の墓」がすぐ浮かびます。「青春の城下町」ともども私の青春時代を飾ってくれた歌手だと思います。今も本業(宝石商)の傍ら、懐かしの昭和歌謡番組にも顔を出されて元気な姿が見られます。
 さて、管理人さんが蛇足で「城山」について、「城下町を見下ろせる城山は少ない」と述べられていますが、その「城山」は「山名」にこだわるからではないでしょうか。
 私の知る城下町を形成する城には、今は「○○城山公園」となづけられたものがたくさんあります。そしてこの公園のことを「城山」とよんでいます。近くでは「田丸城、鳥羽城」などがあります。この作詞者も城跡の小高い丘を「城山」と称したのではないでしょうか。

投稿: 伊勢の茜雲 | 2023年10月 5日 (木) 13時46分

 城山についてですが、遠藤実が育った家近くの新潟県新潟市西蒲区峰岡に「峰岡城山公園」というところがあって、「城山遺跡」もあるようので、昔この辺に小高い山があったのでしょうか。あるいはこのイメージをふくらませて作詞したのでしょうか。ところで、作詞者が遠藤実と西沢爽になっていますが、元が遠藤実で、西沢爽が補作したのでしょうか。遠藤実だったら自分の故里を偲んで作ったような気がしますが。

投稿: 吟二 | 2023年10月 5日 (木) 16時54分

吟二様
作詞:西沢爽、作曲:遠藤実

です。でたらめな表記のままアップロードしてしまいました。
申し訳ありませんでした。
ご注意いただいた芳勝様、なち様、ありがとうございました。

投稿: 管理人 | 2023年10月 5日 (木) 22時24分

私は松山市の近くで育ちましたので、松山城のあるお城山とその下に広がる城下町に親しんで育ちました。この歌も三橋美智也さんの「古城」も松山城のことのように感じてしまいます。松本城や姫路城を見たとき、平地に立っているお姿に馴染めず、こんなのお城じゃないと思ってしまいました。遠い昔、景色の良い松山城のお城山の上のベンチに順子さんと腰掛けたとき、彼女が好きだという立原道造の詩「後の思いに」を口ずさんでくれました。「夢はいつも帰って行った 山の麓の寂しい村に 水引草に風が立ち.....」私の夢は松山城に帰ります。順子さんの家は松山城の麓でした。最近、ほんの十日ほど前に水引草を実際に見てどんな草か知ることができました。それで、中学の時にこの詩を知ってから 60 年近くして、順子さんの暗唱を聞いてから 50 年近くして、初めてはっきりした詩の映像を持つことができました。そのことを順子さんにお伝えしたいと思いましたが、今はどこでどうしておられるやら知りません。

投稿: kazu | 2023年10月 6日 (金) 09時38分

”青春の城下町”、なかなかいい響き(語感)です。
この歌が世に出た昭和39年といえば、私は社会人3年生で、一人前になるべく、仕事に邁進する日々を送っていたと記憶します。

私にとって、”青春”、”城下町”ときたら、高校時代を思い浮かべます。
昭和20年代後半、郷里・石川県小松市の一寒村に住んでいた私は、町(小松)にあるK高校に通学していました。高校のグラウンドのはずれには、小松城址の天守台(石垣)が残っていて、在校中に2~3回散策したものです。
普通高(進学校)であったせいか、同じ進学コースの数人の友人を除いては、付き合う友人もなく、あっという間の三年間でした。
遠くから、素敵な女性(同級生)だなあと眺めることはあっても、この歌にあるような、甘酸っぱい思い出となる体験などありませんでした。

我が体験に照らして、この歌の歌詞を眺めるとき、世の中には、城下町を舞台にして、このような青春(高校時代)もあったのだろうかと、羨望の念すら覚えます。
まあ、味気ない高校時代ではありましたが、1~3年生を通して、選択教科で音楽を履修したことは、その後の人生に潤いをもたらし、かけがいのない体験だったと、振り返っております。

投稿: yasushi | 2023年10月 6日 (金) 16時43分

「青春の城下町」この曲は私が幼少の頃に住んでいた故郷を想い出させる歌でもあります。この曲が発売されたという昭和39年6月、私は小学の四年生でしたが、当時はあちこちの民家のラジオからは、いつもさわやかな梶光夫のこの歌が流れていたことだけは今も鮮明に憶えています!

当時は歌手四天王と云われた、橋幸夫・舟木一夫・西郷輝彦・三田明・の全盛期でしたが、そんな中にあって梶光夫が歌ったこの曲には、幼心にも私はどこかに新鮮さを憶えたものでした。

情緒ある城下町で仄かな恋が芽生え、その愛を育もうとしている清らかな若者の純愛、思わずそんな情景がまぶたに浮かんでくるような素朴さが漂う、名称:西沢爽の秀逸な詩の魅力もさることながら、それにも増して大作曲家:遠藤実がこの詩に付けた、人の心のぬくもりさえ感じさせる、この素晴らしいメロディを聴いているとき、私はいつの間にか郷愁を誘われている自分に気づきます。

「青春の城下町」今日は懐かしさも手伝ってか、久しぶりにyoutube視聴にて、若かりしころの梶光夫の一連のヒット曲をつい先ほどまで聴いていました。その中でもやはりこの歌を聴いてると私は幼少のころの自分を想い出します。思えばあのころからもう60年が経とうとしているのですね。

投稿: 芳勝 | 2023年10月 6日 (金) 20時53分

私がこの歌を聴いたのはかなり年が経ってからだと思います。聴いた瞬間に青春が戻ってきたような気がしました。
忘れられない少年が目の前に立っているような感じがしたのです。お互いに初恋だったのではないかと思います。
夕方になると我が家の近くに立っていて私を見るとスッと自分の家に戻られてしまうのでお話をしたことはありませんでした。でも、心は通じていたと思います。
区画整理でその思い出の町は無くなってしまいました。
山茶花の咲いていた細い小路ですれ違った時、その少年は抱えていた本を落としました。拾って彼に手渡したとき「有難う」と言った声がまだ耳に残っています。遠い日の少年の声と震えていた彼の手が70年経った今でも宝物のように私の脳裏に焼き付いています。それが私の暖かな青春の始まりでした。

投稿: ハコベの花 | 2023年10月 6日 (金) 22時53分

青春の城下町、いやあ歌の題名がいいですね。
私は神戸市の垂水区で育ちましたから、JRの駅でいえば垂水から西へ、舞子―朝霧ー明石と3つ行けば明石駅に着きます。明石駅から城の三重櫓が西と東に美しく二つ見えます。天守閣はありませんがとにかく樹が多く、敷地も広い城跡です。堀や池がいくつもあって野球場、テニスコート、図書館などもあります。菊人形展などもあって今も人が多い。小中学校の頃よく遊びに行きました。私の城下町、あるいは青春の城下町といえばこの明石城です。彼女などはいなかったけれど海の向こうに淡路島が見えるのがこの町のいい所で、魚の棚と呼ばれる魚市場はいつも活気がありました。
明石の城跡や漁師町、淡路島への渡し場などをゆっくり見て回ると日頃の心の憂さ、今でいうストレスが消えたような気がしました。
「隠れ家は心のうちにあるものを 知らでや山のおくに入るらん」という古歌の意味がわかりました。何も奥山に入らなくてもゆったりとした気持ちで毎日を送ればよいということですね。

投稿: 越村 南 | 2023年10月 7日 (土) 15時37分

 梶光夫さんが爽やかに唄われる ♪青春の城下町 を聴くと、
子どもの頃に行った津山城(鶴山公園)
其の後、就職ですぐ下で働いていたのを思い出します。
 津山民謡 ♪津山城下町 お城の松に・・ 

 城山の意味は考えたこともありませんでした。
>城山という名の山は全国に276山
新潟県が一番多いですね。 

投稿: なち | 2023年10月 7日 (土) 18時37分

自分でうたったことも、この歌を思い出したこともないのに
「わが愛を星に祈りて」とともに久しぶりに聴くと
涙がにじむほど懐かしく、旋律も歌詞も自然に浮かんできます。
アンナ・アンベルクが三等車で来た時よりもっと早く、
一つ年下の子の姿を見るだけでもうれしかったころに
よく流れていた曲だからでしょうか。

飛騨の高山の高山城跡は「城山 しろやま」。旧市街地を見渡すことができ、好きな子のいる家なら必ずわかるような場所でした。ついでに越前大野城。高山城とともに金森長近が作った城で、市街地のすぐそばなのに雲海に浮かぶ姿が親しまれていますが、こちらは「亀山」でした。

投稿: Kirigirisu | 2023年10月10日 (火) 17時11分

私の高2の時の流行歌ですね。カラオケでときどき歌いますが(「わが愛を星に祈りて」なんぞもいいですね)、その都度なんだかこっぱずかしい気持ちになります。歌の情景はこの頃に観た山内賢主演の映画『悪太郎』の映像と重なって私の心にあります。気持ちだけは文学青年でしたが、異性には無関心を装ったバンカラ一途の時期。いま老境に差し掛かり、もう一回人生があったら・・・なんて思ったりして(笑)。

投稿: ザジ | 2023年10月13日 (金) 23時51分

このゴールデン・ウィークに、倅(独身)に誘われて、家内と3人で、2泊3日の鹿児島旅行に出かけました。
午後の便で鹿児島空港に降り立ち、”翌日は雨”との予報のもと、今日のうちにと、レンタ・カーで先ず向かったのは、鹿児島市内の城山(しろやま)公園でした。クスノキの大木があったりして、歴史を感じさせる、うっそうと茂る森の中の径をたどり、展望スポットに着きました。
鹿児島市の街並みを見下ろし、その向こうに海を隔てて、桜島が浮かんでいて、まさに絶景でした。そのとき、自然に口を衝いて出てきたのは、
『青春の城下町』の
  ♪流れる雲よ 城山に
    のぼれば見える…♪ 
でした。
その日は街中の宿に泊まり、翌日は南下して指宿(いぶすき)へと足を伸ばし、更に、枕崎、知覧を訪ねた後、霧島温泉泊。3日目は、鹿児島港からフェリーで桜島にわたって展望スポットをまわり、鹿屋(かのや)を経て、東へと足を伸ばして青島(宮崎)に立寄り、宮崎空港から戻りました。

改めて、”うた物語”の『青春の城下町』を訪ねて、《蛇足》に目を通しましたら、”城下町を見下ろせる城山は非常に少なく、鹿児島市の城山(しろやま)、松本市の城山(じょうやま)ぐらいしか、私は思いつきません。…” とあり、二木先生も同じ景色をご覧になったのだなあと、嬉しさを憶えました。
まあ、私にとって、今回の旅で、鹿児島(市)、『青春の城下町』がより身近な存在になったことは、確かです。

投稿: yasushi | 2024年5月 6日 (月) 15時30分

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