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2024年3月20日 (水)

雨の慕情

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:阿久 悠、作曲:浜 圭介、唄:八代亜紀

1 心が忘れた あのひとも
  膝が重さを 覚えてる
  長い月日の 膝まくら
  煙草プカリと ふかしてた
  にくい 恋しい にくい 恋しい
  めぐりめぐって 今は恋しい
  雨雨ふれふれ もっとふれ
  私のいいひと つれて来い
  雨雨ふれふれ もっとふれ
  私のいいひと つれて来い

2 ひとりで覚えた 手料理を
  なぜか味見が させたくて
  すきまだらけの テーブルを
  皿でうずめて いる私
  きらい 逢いたい きらい 逢いたい
  くもり空なら いつも逢いたい
  雨雨ふれふれ もっとふれ
  私のいいひと つれて来い
  雨雨ふれふれ もっとふれ
  私のいいひと つれて来い

  雨雨ふれふれ もっとふれ
  私のいいひと つれて来い
  雨雨ふれふれ もっとふれ
  私のいいひと つれて来い

《蛇足》 シングルは昭和55年(1980)4月25日にテイチクから発売されました。B面は『男と女・酒と歌』。
 『舟唄』に続く、阿久悠・浜圭介コンビによる大ヒット曲です。
 「雨雨ふれふれ……」という歌謡曲としては風変わりなリフレーンが、多くの人の記憶に残っていると思います。

 歌詞は、歌謡曲のメインストリームともいうべきカップルの破綻がテーマ。カップルといっても、近年は組み合わせが多様になり、安易に男と女と決めつけられません
 しかし、
この歌がヒットしたのは、カップルイコール男と女と思われていた時代。そこで、ここではその組み合わせで書きます。気になる人は、男と女を適宜置き換えてお読みください。

 このカップルは、なぜ破綻したのでしょうか。なんの根拠もありませんが、私はこんなふうに想像しました。

 生き方とか人間関係、仕事、あるいは知的な問題で二人の間に食い違いが起きたとき、女性がこの線以上は譲れないと頑張ったのではないでしょうか。そこで男は憤然として出ていき、女が残るという形になったのでしょう。
 言い換えれれば、この女性は自分の考えをしっかりもっており、男の言うがままになるタイプではなかったということです。

 「いつも自分が正しいと思っている。なんて身勝手な男だろう。出ていってくれてせいせいした」
 「しかし、私も言い過ぎたかもしれない。冷静になるべきだった」
 「数日したら帰ればいいのに。どこまで意地を張るつもりだろう」
 「ゆったりタバコを吸う姿がかっこよかった。あの笑顔が懐かしい」

 1番のAメロ・Bメロに当たる部分は、こんなふうな内面のつぶやきの繰り返しです。去っていった男への追懐であり後悔なので、そのつぶやきは淋しく悲しい。

 2番では、小ぶりのテーブルで二人で食事したことを思い出して、2人分の食事を作って並べてみます。しかし、向かいに男の姿はありません。
 行動してみることで、空虚感が多少埋められるかと思うと、かえって淋しさが増します。

 サビの部分で女性の意識は外に向きます。窓外の雨を眺めながら、変数を次々と入れ替えて期待値を高めようとします。
 基本の変数は雨で、雨が強くなればなるほど、期待値が高まるように感じています。そこで、「雨雨ふれふれ もっとふれ」と呪文のように繰り返すのです。

 すると、土砂降りの雨をかき分けるようにして男が姿を現し、数か月だか数年だかの空白がまったくなかったかのような顔をして、「うわー、ひどい雨だぜ」といいながら、駆け込んできます。
 女性も、長い空白がまったくなかったかのように、「あらあら、びしょ濡れじゃないの、着替えなくっちゃ」と応じます。

 そんなふうに考えながら、女性は雨を眺めていますが、架空の変数をどう組み合わせても、期待値は現実化せず、そこから生まれるのは幻影にすぎません。
 意識が外に向かうことで、少し明るくなったような気がしますが、「雨雨ふれふれ」と繰り返しても、やはり虚しさは埋められません。切ない歌です。

 ところで、この歌についてネットを調べているとき、とんでもハップンな(て今ではだれもいいませんね)Wikipediaの記事にぶつかりました。
 項目名は『雨の慕情』で、私が閲覧したのは2024年3月20日です。いずれだれかが書き換えるか、記事が削除されるでしょう。いちばんひどいのは、次の箇所です。

 それまでの日本の歌謡曲では、「雨」に関する名曲は切ないメロディが多かったとされる[2]。「雨の慕情」では、楽しく雨乞いをするような歌詞、切なさもありながら明るいメロディは画期的だった。一部マスコミからは、「日本人が楽しそうに雨に関する歌を歌うのは、『あめふり』以来」とも言われている[2]

 『あめふり』とあるのは、北原白秋作詞・中山晋平作曲の童謡『あめふリ』を指していると思います。
 これは、雨が降っている下校時間に、お母さんが雨傘をもって迎えに来てくれた、という小学校低学年の男の子の飛び上がるような喜びを描いた歌です。

 いっぽう、『雨の慕情』は、男に去られた女性の淋しさを描いたもので、メロディがまるで違います。
 サビの部分で、「雨雨ふれふれ」と童謡の『あめふり』と同じフレーズを使っていますが、これで楽しくなったわけではなく、女性の意識が外に向かったことを示すためにトーンを変えただけです。

 楽譜を見ると、童謡の『あめふり』は、メロディのほとんどが1拍を付点8分音符+16分音符で表している、いわゆるピョンコ節です。ピョンコ節でも静かな曲やメランコリックな曲もありますが、大体が明るく調子のいい曲です。

 これに対して、『雨の慕情』では、16分音符を同じ高さで並べた部分が多く、その他の箇所も、上がり下がりの幅が狭く、これが内面の淋しいつぶやきを表現しています。サビの部分も同様です。

 上記の記事では、Wikipediaのルールに従って、〈週刊現代2022年6月11日・18日号週現「熱討スタジアム」第435回・八代亜紀の「雨の慕情」を語ろうp144-147〉と、ちゃんと出典を示しています。

 どういうメンバーが "『雨の慕情』を語っている" のかわかりませんが、この歌が童謡の『あめふり』と同工のメロディだと思っているとしたら、極めて特異な音楽感性をもった人たちというほかありません。
 この項目の筆者が、『週刊現代』の記事を正しく読み取れていないだけかもしれませんが。

 この項目の筆者は、記事の冒頭で「阿久悠/浜圭介コンビによる、「舟唄」「港町絶唱」と合わせて哀憐三部作とされた」と書いています。この記述と上記の引用文との矛盾に気がつかないのは、なんとも不思議です。

 Wikipediaは仮にも百科事典です。書くなら丁寧に書いてほしいものです。わたしは、Wikipediaには少額ながら何回か寄付しているので、なおさらそう思います。

(タイトル下のイラストはAIドローイングで描いたもので、オリジナルです)。

(二木紘三)

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コメント

蛇足(全然蛇足ではありませんが)に続いて想像を膨らませてみます。
「雨」が物語の鍵とするならば、雨に関する思い出があったのかもしれません。
例えば、突然の土砂降りの夜、女がひとりで切り盛りする小料理屋に、男が背広の上着を傘代わりにして、駆け込むようにやってきます。
男はちょっと雨宿りのつもりでしたが、それが運命の出会いだったとか。

タイトル下のイラストは、写真かと思いました。
窓に映る女性の姿まで描いてあります、本当にきれいです。

投稿: 12月の旅人 | 2024年3月21日 (木) 22時53分

「雨雨ふれふれ」のところだけ両手で雨を受けて歌っていた姿が印象的に残っています。歌詞を読んで、別れ歌なんだと思い、また蛇足を読み終わってから気になって『5番街のマリー』のページをめくってみますと、作詞が阿久 悠なんですね。では作られた年は?と思い見てみますと1973(s48)年です。『雨の慕情』は1980(s55)年です。

両方の歌詞の内容からすると時間経過が逆ですね。妄想を広げてみると当時の世相が反映されているのかなと思ってしまいました。『雨の慕情』の二人は『5番街のマリー』の二人のようになって欲しいですね。

イラストが素晴らしいですね。AIドローイングの凄さが怖いくらいです。因みに私もWikipediaを図書館代わりに使っていますので、小額ながら数回寄付をしています。Wikipediaの真否性を時たま耳にします。二木先生に同感です。

投稿: konoha | 2024年3月22日 (金) 10時19分

歌の題名を聞いただけではさっぱり思い出せない歌でしたが「雨雨ふれふれもっと降れ 私のいい人連れてこい」ではっきり思い出しました。初めて聞いた時、「昭和の雨乞い歌か、なんだ農民は登場しないのか。別れた男の帰りを可能性薄いながらもまっている女の歌か。しかし何で雨が降ると男が戻ってくるの?」というのが当時の感想でした。
<蛇足>の「女性の意識が外に向かったことを示すためにトーンを変えただけです」におー、なるほどと納得、というよりあらためて二木先生の文学的才能の深さに驚きました。言葉に対する洞察、徹底したこだわり、すごいですね。

ついでながら北原白秋作詞、中山晋平作曲の「あめふり」も
小学校で習った好きな歌でした。掲載します。

あめあめ ふれふれ かあさんが
じゃのめで おむかえ うれしいな
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

かけましょ かばんを かあさんの
あとから ゆこゆこ かねがなる
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

あらあら あのこは ずぶぬれだ
やなぎの ねかたで ないている
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

かあさん ぼくのを かしましょか
きみきみ このかさ さしたまえ
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

ぼくなら いいんだ かあさんの
おおきな じゃのめに はいってく
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン


1925年(大正14年)の歌だったんですね。ピッチピッチチャップチャップランランラの掛け声?が忘れられません。きみきみこのかささしたまえはずいぶん上からものを言っているなあという感想を持ちましたが,大正の終わりならしょうがない。また雨が降るたび母親が迎えに来るなんて家が学校によほど近いか、ブルジョアのぼんぼんだろうと当時小学校1,2年の私は思った記憶があります。

投稿: 越村 南 | 2024年3月23日 (土) 17時15分

「雨の慕情」私がこの歌に関するWikipediaの記事を読んだのは、八代亜紀さんの訃報を知ってから後のことですが、その記事を読んでいる最中、私も二木先生のご指摘の部分の記事には大きな違和感を感じた一人です!

先日、ここにこの曲がアップされたとき、私が違和感を覚えた記事のことが、<蛇足>での解説にも指摘されていたので私は驚きました。そしてまた、私が感じていた違和感はまんざら例外でもなかったんだということが解り、私は幾分胸を撫で下ろした次第です。

ここで二木先生の名演奏を聴いているときも、幼いころから大好きだった童謡の「あめふり」と、八代亜紀さんの「雨の慕情」この双方の歌とは、あまり関連付けて欲しくはない、私の心の中にはやはりそんな思いが芽生えてくるのです。

大好きだった歌手の八代亜紀さんが亡くなられてから、もうはや三ケ月が経とうとしていますが、私は今改めて八代亜紀さんの存在の偉大さを知らされているような、そんな気がしています。

八代亜紀さん、これまで長年にわたり、素晴らしい歌声を聴かせていただき私は今も感謝の念に堪えません。本当に有難うございました。心よりご冥福をお祈り申しあげます。

投稿: 芳勝 | 2024年3月27日 (水) 18時25分

 “阿久悠の歌もよう人もよう”
平成15年9月20日の新聞の切り抜きを引っ張り出して読んでいました。

 新境地を開拓するためと口説かれた昭和54年、
仕事を張り切っておられたのに、上手くいかず半分キレかかった時に、
仕切り直しをされたのが、新プロジューサーの小西良太郎さん。
 八代亜紀さんを悲しい女から脱皮させた新境地の最初の歌が ♪舟唄 です。 

 
 八代亜紀さんがペルーに“ヤシロアキ工業技術学校”を寄付された時、
「雨の慕情」を校歌にしたいと言われたとか。どうなったのでしょう?

投稿: なち | 2024年6月25日 (火) 08時00分

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