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2025年8月10日 (日)

アメイジング・グレイス

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:John Newton、作曲:William Walker他、日本語詞:岩谷時子

Amazing grace, how sweet the sound
That saved a wretch like me!
I once was lost, but now I'm found,
Was blind, but now I see.

やさしい愛のてのひらで
今日も私は歌おう
何も知らずに生きてきた
私はもう迷わない

光り輝く幸せを
与え給うたあなた
大きな御胸に委(ゆだ)ねましょう
続く世界の平和を

Amazing grace, how sweet the sound
That saved a wretch like me!
I once was lost, but now I'm found,
Was blind, but now I see.

        Amazing Grace

1. Amazing grace, how sweet the sound
   That saved a wretch like me!
   I once was lost, but now I'm found,
   Was blind, but now I see.

2. 'Twas grace that taught my heart to fear,
   And grace my fears relieved;
   How precious did that grace appear
   The hour I first believed!

3. Through many dangers, toils and snares
   I have already come:
   'Tis grace has brought me safe thus far,
   And grace will lead me home.

4. The Lord has promised good to me,
   His word my hope secures;
   He will my shield and portion be
   As long as life endures.

5. Yes, when this flesh and heart shall fail,
   And mortal life shall cease:
   I shall possess, within the veil,
   A life of joy and peace.

6. The earth shall soon dissolve like snow,
   The sun forbear to shine;
   But God, who called me here below,
   Will be forever mine.

《蛇足》 Amazing Graceは「奇(く)すしき恩寵」という意味。訳語はいくつもありますが、原題をそのままカタカナ書きにして表記するのが一般的です。
 この美しい歌が元奴隷商人の牧師が作った讃美歌だと聞いて、驚く人も多いのではないでしょうか。

 その牧師ジョン・ニュートン(上の肖像画)がこの歌を作ったのは1772年で、出版されたのは1779年。そんなに古い歌なのに、廃れるどころか、年を経るごとに盛んに歌われるようになっています。
 世界中で、讃美歌としてはもちろん、さまざまなジャンルのポピュラーソングに編曲されて歌われ、演奏されているのです。
 ニュートンの伝記作者ジョナサン・エイトケンは、この曲が毎年約1000万回演奏されていると推定しています。

ジョン・ニュートンの波乱の生涯
 音楽史に異例の位置を占めるこの歌を作ったジョン・ニュートンとは、どんな人物なのでしょう。その謎の経歴を見てみましょう。

  ジョン・ニュートンは、1725年、ロンドンで生まれました。父親は商船の船長で、一度航海に出ると、数年は家に帰りませんでした。
 ニュートン6歳のとき、母親が亡くなったので、ニュートンは母親の友人のキャトレット家に短期間預けられました。キャトレット家にはメアリーという娘がおり、のちにニュートンの妻になります。

 11歳のとき、ニュートンは見習いとして父親の船の乗せられました。ニュートンは頑固で反抗的な青年になり、それに手を焼いた父親によってイギリス海軍に入隊させられました。
 しかし、その性格から海軍の規律になじめず脱走、元の船に強制送還されて激しい鞭打ちを受けました。さらに、水兵としては使いものにならないとして、たまたま通りかかった奴隷船の乗組員と交換されました。

 ニュートンが奴隷貿易に関わるようになったのは、これがきっかけです。
 ニュートンは、放蕩無頼の生活を送りながら、海上や陸上で死の危険にさらされると、神について考え、まともな生活をしようとしました。しかし、それは束の間、また不品行な生活に戻ってしまいました。

 船員になってから、ニュートンはキャトレット家を訪ね、メアリーと文通したいと申し出ました。ニュートンの生活ぶりに不安をいだいていた彼女の両親は渋りましたが、メアリーが希望したので、二人は文通を続けました。

奴隷商人としての転機
 奴隷船で働くうち、ニュートンは、その収益の大きさに魅せられました。
 当時のイギリスは、公営(のちには私営貿易業者にも許可)の奴隷貿易を行っていました。
 アフリカの各地で奴隷を仕入れてアメリカ大陸や西インド諸島で売り、その地の物産をイギリスに運び、イギリスの綿製品などをアフリカで売り、また奴隷を仕入れるという、いわゆる三角貿易です。
 三角貿易により奴隷業者は巨利を得たし、乗組員たちにも高額な報酬をもたらしました。

 しかし、拉致されたアフリカ人たちの扱いは非道で残酷でした。船底に大勢詰め込まれて、食事や水も十分与えられませんでした。最悪の衛生状態で、疫病や飢餓、脱水、自殺、船員の暴力で、航海中に1割から2割が死んだといいます。
 ニュートンも、それに慣れてしまい、ほかの船員同様、無慈悲で残酷な扱いをしていました。

ニュートンの回心とその後の行動
 転機は突然やってきました。
 1748年3月、ニュートンたちの帆船は、アイルランド北西の大西洋でかつて遭ったことのない大嵐に襲われました。この船は物産を運んでおり、奴隷は乗っていませんでした。
 船は左右に激しく揺れ、海に投げ出される船員もいました。浸水が始まったので、ニュートンは船外に流されないように体を縛りつけ、排水ポンプを押し続けました。 そのあと、彼は甲板に戻って11時間舵を取り続けました。

 舵を取りながら、ニュートンは「主よ、私たちを憐れんでください」と祈りました。両親とも敬虔なカトリック教徒だったのに、ニュートンが真剣に祈ったのはこのときが初めてだったといいます。
 彼はそれまでの生活を振り返り、自分が神の慈悲を受けるに値するかどうか、あるいは何らかの形で贖(あがな)うことができるかどうか神に問いました。この大嵐は、神からの自分への深いメッセージであり、それを受けて自分は変わらなければならないと思うようになりました。
 これが有名な「ニュートンの回心」です。
 
 その2週間後、ボロボロになった船と飢えた乗組員たちは、アイルランドに上陸しました。
 その後ニュートンは、酒や賭け事、その他の不品行や悪行を控え、聖書や宗教的書物を熱心に読むようになりました。
 しかし、1754年(1755年とも)までの約6年間、彼は奴隷貿易を続けました。

 私がいちばん引っかかったのはここです。回心のすぐあとに同じことを、それも6年間も続ける。そうすると、回心はその場限りの精神的混乱に過ぎなかったのか、あるいは回心は本物だったが、奴隷貿易は国もやっていることだから悪行にはならないと考えたのか。
 これらの点がスッキリしないので、私はニュートンの人間性に疑念を抱くようになったのです。
 『アメイジング・グレイス』は好きな曲なのに、当ブログで取り上げなかったのは、この疑念が理由です。

メアリーとの結婚
 しかし、ある文献を読んで、スッキリはしませんでしたが、ニュートンの気持ちが多少理解できるようになりました。

 大嵐から生還したニュートンは、すぐにキャトレット家に手紙を書き、メアリーとの結婚を懇願しました。ニュートンの資産が不十分だと知ったメアリーの両親は、躊躇しましたが、メアリー本人は彼の申し出を考えてみると返事しました。
 そこでニュートンは、資産を増やすために奴隷貿易に戻ることにしたのでしょう。
 ただし、彼が奴隷貿易に従事したのは初めの3回だけでした。しかも奴隷への扱いはかなり穏便になり、同僚たちにも無慈悲な行為をやめさせたといいます。

 3回の奴隷貿易のあとの1750年、ニュートンはメアリーと結婚しました。その後、奴隷貿易とは関係ない貨物船の船長になり、資産を増やしました。
 そのうちニュートンは、航海のたびにメアリーと離れるのが辛くなり、1755年、病気を理由に船乗りを辞め、以後二度と航海することはありませんでした。
 要するに、ニュートンはメアリーといっしょになりたいあまり、回心の実行を先延ばししたわけですね。

聖職者としての生活
 船を降りたニュートンは、1756年からリバプールの税関職員として働き始めました。そのかたわら、独学でラテン語とギリシア語、神学を学び、さらにメアリーとともに教会活動に没頭しました。それを見た友人たちは、彼に聖職に就くことを勧め、ニュートンもそうしたいと思うようになりました。
 しかし、ヨーク大主教ジョン・ギルバートは、ニュートンに大学の学位のないことなどを理由に拒否、ニュートンの希望は一時断たれました。

 その頃彼は、奴隷貿易での体験と回心について書いた冊子を刊行していました。この冊子は、彼がのちに奴隷制廃止運動を行う際に、重要な武器となりました。
 これを読んで感銘を受けたダートマス伯爵ウィリアム・レッグは、リンカーン主教ジョン・グリーンに働きかけ、そのおかげでニュートンは副牧師になることができました。

 副牧師とは、教会での礼拝や説教、洗礼や葬儀などの儀式、信徒への訪問、助言など、教区の活動について主任牧師を補佐する仕事で、経験を積むと牧師に昇進することができます。

 1764年、ニュートンはイングランド中央部のオルニーという貧しい教区に赴任します。住民の多くは読み書きができなかったため、牧師の説教や祈祷が精神的な支えでした。

 新任副牧師の説教は、住民たちがそれまで聞いてきたものとかなり違っていました。
 多くの聖職者は、ひたすら神を讃え、人は絶対に誘惑に負けたり罪を犯したりしてはならない、といった観念的・教条主義的な説教をするのが普通でした。
 いっぽうニュートンは、自分の経験をもとに、「罪を犯しても神の慈悲によって救われる」と語りました。このメッセージは、罪に悩む信徒たちの心を深く揺さぶりました。
 こうした説教を続けたことで、教区民が次第に教会に集まるようになりました。
 そこでニュートンは毎週祈祷会を開くことを決め、そのために新しい讃美歌が必要と考えるようになりました。

『アメイジング・グレイス』の誕生と普及
 そのころ、ニュートンはウィルアム・カウパーという文学者と知り合い、友情を深めていました。
 カウパーは、法律キャリアの失敗から、自殺未遂をするような繊細な神経の人物でしたが、ニュートンとの交情によって安定を取り戻し、その教区活動に協力するようになりました。

 ニュートンとカウパーは、礼拝のとき、伝統的な讃美歌だけでなく、新しい歌を歌うようにすれば、会衆の信仰心がリフレッシュされるのではないかと考えました。
 二人が作った詩や讃美歌は祈祷会で発表され、信徒たちに喜ばれました。

 そのなかでとくに信徒たちを感動させたのは、ニュートンが作った『アメイジング・グレイス』でした。この讃美歌は、「私は長らく道を見失っていましたが、神の恩寵により、正しい生き方を見出すことができました」と歌う、いわば一人称で語った詩でした。
 詩は3聯で、どの聯も語数が少なかったので、誰でもすぐ覚えることができました。

 『アメイジング・グレイス』は、確かな資料はありませんが、1773年1月1日の祈祷会で初めて披露されたようです。曲がついていたという記録がありませんので、多分口誦で伝えられたのではないかと思われます。
 ニュートンとカウパーの作品は、『オルニー讃美歌集』というタイトルで、1779年に匿名で出版されました。収録された348曲のうち280曲がニュートンの作品でした。

 この讃美歌がオルニー教区から教区外に広まるにつれて、いろいろな人が曲をつけました。アイルランドやイギリス各地の民謡をベースにしたものがほとんどでした。作曲者の名前は記録に残っていません。

アメリカでの広がり
 『アメイジング・グレイス』は、イギリスや近隣のキリスト教国では讃美歌集に加えられた程度で、その広がり方は緩やかでした。
 いっぽう、移民たちによって持ち込まれたアメリカでは、驚くべき勢いで広まりました。
 1789年から1799年の間に、20あまりの曲がニュートンの詩に付けられ、バプティスト派や長老派、メソジスト派などいくつもの宗派や地域で礼拝の際の定番曲となりました。

 今日『アメイジング・グレイス』として歌われているメロディを作ったのは、ウィリアム・ウォーカーという作曲家です。
 彼には1835年に作った『ニュー・ブリテン』というヒット曲がありました。このメロディがニュートンの歌詞によく合うことから、ウォーカーは、2つを組み合わせて、シェイプノート曲集『サザン・ハーモニー』に収録しました。

 シェイプノートとは、音符の玉の部分が三角形・四角形・楕円形などになっている楽譜です。これらの記号は音階を示しているので、楽譜が読めない人でも歌えるようになっていました。
 この曲集は、1847年に刊行されるとすぐ大ベストセラーになりました。アメリカの人口が2000万人ちょっとだった時代に、実に約60万冊売れたと記録されています。

大覚醒運動の影響
 これと並んで、『アメイジング・グレイス』の広布に影響があったのは、大覚醒運動です。
 これは熱病のような信仰の復興ムーヴメントで、植民地時代の開拓地から始まり、1960-70年代までに4回発生しました。

 数千人もの人びとが草原などに張ったテントに何日も泊まり込み、「私の魂をお救いください。正しい信仰の道に戻ります」などと、熱狂的に祈り続けるのです。教会での祈祷会と違って、典礼はほとんど省かれ、祈りと讃美歌、神を称えるのがすべてでした。
 聖職者が説教することもありましたが、見知らぬ人が突然立ち上がって、罪から離れることの重要性を説いたりしました。
 こうした宗教的パンデミックのなかで、最もよく歌われたのが『アメイジング・グレイス』でした。初めは、そのときまでに知られていたメロディで、『ニュー・ブリテン』が発表されてからはそのメロディで歌われました。

非白人社会への普及
 大覚醒運動でも日常の教会活動でも、歌われたのは、ニュートンが作った3聯の歌詞でしたが、その後3聯が付け加えられました。
 1つは、ハリエット・ビーチャー・ストウが1850年に発表した小説『アンクル・トムの小屋』に掲載されたものです。この小説は、奴隷制廃止運動に強い影響を与えたことで有名で、わが国でも読んだ人は多いと思います。

 この小説のなかで、黒人奴隷のトムは、深刻な危機に見舞われたとき、彼らのコミュニティで口承で伝えられてきた『エルサレム、わが幸福な故郷』という歌の1節を歌いました。これが『アメイジング・グレイス』に4番として加わりました。
 5番・6番の作者はわかりません。

 『アメイジング・グレイス』は、1800年代前半に南部の黒人奴隷社会に浸透し、スピリチュアル(黒人霊歌)風にアレンジされて、黒人教会やフィールド・ミーティングで歌われました。

 白人社会で抑圧されていたのは、黒人奴隷だけではありません。ネイティブ・アメリカン、いわゆるインディアンの諸部族もひどい目に合わされました。
 アメリカは本来彼らの土地なのに、白人たちに次々と追い立てられ、抵抗すと、残虐な種族として西部劇に描かれました。彼らは武力では対抗できず、キャトル・ドライブのように徒歩で遠い居留地まで移動させられました。その途中で何千人ものインディアンが亡くなりました。

 そうした悲運の人びとも、『アメイジング・グレイス』に慰藉(いしゃ)を求めました。たとえば、ネイティブ・アメリカンのなかでは最も早く独自の文字をもったチェロキー族は、『アメイジング・グレイス』を自分たちの言葉に翻訳して歌ったといいます。
 いずれの立場の人びとにも、『アメイジング・グレイス』は宗教音楽として歌われていました。

ポピュラー音楽化から"第ニ国歌"へ
 しかし、20世紀に入って、レコードやラジオが生活の中に入ってくると、状況が変わってきました。
 レコードは、固定的なメロディでなく、聞き手の好みに合った演奏や歌唱を記録できるし、ラジオもさまざまな種類の演奏・歌唱を放送することができます。
 『アメージング・グレイス』が最初に録音されたのは1922年で、スタンダードなゴスペルを合唱団がアカペラで歌ったものでした。

 その後、クラシック音楽風、ジャズアレンジ、ブルース、ロック、バグパイプ音楽風、民族音楽風、フォークなど、さまざまにアレンジされたヴァージョンが広まりました。
 音楽に関するアメリカのデータベースサイト「オールミュージック(AllMusic)」には、2019年現在で、再リリースやコンピレーションも含む1,000以上の録音が掲載されています。
 世俗化することによって、『アメージング・グレイス』の愛好者は飛躍的に増えたのです。

 さまざまなイベント、いろいろな場所で『アメイジング・グレイス」は多くの人に歌われ、今ではアメリカの"第二国歌"といわれるほどになっています。
 第二国歌といっても、トランプ風ジンゴイスティックな意味ではありません。
 アメリカには、年寄りと若者、男と女、エリートとワーキングクラス、共和党と民主党、南部バプテストとローマカトリック、アングロサクソン系白人とアフリカ系アメリカ人やネイティブ・アメリカン、ヒスパニック、超富裕層と反資本主義者といった党派的対立が渦巻いています。
 しかし、この歌を歌うとき、そういったセクショナリズムや葛藤を抑えて、穏やかになれるという人が多いのです。すなわち『アメイジング・グレイス』は人びとの心を癒やし、平安をもたらす音楽なのです。

奴隷制廃止への貢献
 最後に、ジョン・ニュートンの奴隷制廃止運動について触れておきましょう。
 オルニーにいた頃、彼は教会活動に没頭しており、奴隷制廃止運動にはあまり積極的ではありませんでした。しかし、オルニーを去った後、彼は熱心に奴隷制廃止を訴え始めます。

 当時、英国議会議員のウィリアム・ウィルバーフォースが奴隷制廃止を主張していました。ニュートンは彼に協力し、友人カウパーも廃止を訴える詩やバラードで運動を支援しました。
 彼らは、奴隷制を容認する聖書の記述に触れることを避け、もっぱら人道的な観点から廃止を主張しました。奴隷たちが受ける残酷な扱いを非難し、「人間を動物以下に扱うことは許されるのか」と問いかけたのです。

 ウィルバーフォースは奴隷制度廃止法案を何度も議会に提出し続け、ニュートンたちの粘り強い世論形成活動も後押しとなって、1807年に法案はついに可決・成立しました。

(二木紘三)

(『アメージング・グレイス』研究家の築地武士さんからいくつかヒントいただきました。ありがとうございました。同氏は『アメージング・グレイス』の録音メディアを大量に収集しており、詳細なディスコグラフィーを作成しているそうです)。

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コメント

 素晴らしい歌のアップを有難うございました。
二木先生の《蛇足》を何度も読み返しています。

 また この歌を聴くと若くして夭逝された
本田美奈子さんの美声や生き方を思い出して
います。

投稿: けん | 2025年8月10日 (日) 21時56分

蛇足にある「『アメイジング・グレイス』は好きな曲なのに、当ブログで取り上げなかったのは、この疑念が理由です。」を拝見して、曲やニュートンについての御見識だけでなく先生のポリシーに頭が下がります。

小生も美奈子さんの歌を何度かお聴きしたことはありましたが、これを機に唄えるよう練習したいと思います。

投稿: キー | 2025年8月10日 (日) 23時50分

 私もどうして「アメージング・グレイス」が載らないのか不思議に思っていましたが、二木先生のこの歌への誠実なお気持ちによって、より深く「アメージング・グレイス」を理解することができました。

 以前テレビで「アメージング・グレイス」(奴隷解放運動と歌の誕生秘話)を見ました。ドラマより何倍も『蛇足』に書かれている事柄と

・・・『 アメリカには、年寄りと若者、男と女、エリートとワーキングクラス、共和党と民主党、南部バプテストとローマカトリック、アングロサクソン系の白人とアフリカ系アメリカ人やネイティブ・アメリカン、ヒスパニック、超富裕層と反資本主義者といった党派的対立が渦巻いています。
 しかし、この歌を歌うとき、そういったセクショナリズムや葛藤を抑えて、穏やかになれるという人が多いのです。すなわち『アメイジング・グレイス』は人びとの心を癒やし、平安をもたらす音楽なのです。』・・・(蛇足より抜粋)

が、心に残りました。素晴らしい『蛇足』をありがとうございました。

投稿: konoha | 2025年8月11日 (月) 09時36分

(文中一部敬称略)
うおおおおおおおおお!
実は不肖Black Swan(某戦場カメラマン風)、今朝埼玉県朝霞市は広称寺へ本田美奈子.(工藤美奈子、1967~2005)の墓参りに行ってまいりました!
コロナ渦などもあって私が本田の墓参りに訪れるのは7年ぶりだったんですが、奇しくも『アメイジング・グレイス』が貴サイトでアップされてるなんて、感無量です!!
私は残念ながら本田の生歌を聴くことは叶いませんでしたが、生前の本田を姉のように慕っており、彼女の演じた数多くの役を引き継いだ愛知県稲沢市が生んだ歌姫・新妻聖子(1980~)による生歌では何度も耳にしましたし、10年前に名古屋センチュリーホールで行われた中島美嘉(中島→清水→中島美嘉、1983~)のライブではアンコール直後に中島がアカペラで『アメイジング・グレイス』を歌ったのを生で聴いていい意味で背筋がゾクッとしました(ちなみに中島はドラマデビュー作『傷だらけのラブソング』(2001、関西テレビ・東海テレビ・フジテレビ系)の第1話で豪雨の降る中アカペラで同曲を歌唱しております)。
他にも新妻と同学年で「ショッピングモールの歌姫」もしくは「松坂(大輔/1980~)世代最後のスター」こと半崎美子(1980~)もオリジナル曲『稲穂』(2017、作詞・作曲:半崎)のサビが『アメイジング・グレイス』で締められており、私はこちらも半崎のライブで生で聴いて涙が止まりませんでした。
蛇足ながら、吉本のレジェンド、間寛平(間重美、1949~)も同曲をレパートリーにしており、こちらは生歌ではなくテレビで見たのですが、♪ア~メ~…マ~!!♪という間の十八番のギャグを絡めた同曲をモチーフにしたギャグなんですがこちらには大爆笑しました(ある意味、橋幸夫(橋幸男、1943~)の第8回日本レコード大賞受賞曲『霧氷』(1966、作詞:宮川哲夫(1922~74)、作曲:利根一郎(恩田良武、1918~91))をモチーフにした谷啓(渡部泰雄、1932~2010)のギャグ「むひょー!!」に通じるものがあります。

投稿: Black Swan | 2025年8月11日 (月) 14時11分

心待ちにしていた、このプローグ、先生に、心より感謝申し上げます。そして、添え書きも・・・有難うございました。

皆様、私は、その添え書きを頂いた者ですが、「研究者」など、では、ありません。皆さんと同じく、この曲に魅せられた、一介の「愛好の士」ですので、宜しく(笑)

私は、この曲の魅力は、先ず、この曲には、"定番"則ち、これが、「アメイジンググレイス」だ "というものがないことだと思います。
ニュートンの原作詩は、題名から、詩の構成内容も時代と共に変化しています。
原題の「信仰の反省と期待」が、「アメイジンググレイス」に、改題されたようですが、経緯は諸説あり、不詳です。

次に、作曲者も諸説ありますが、確定してないようです。とは、云え、詩だけでは、広がりようがないので、あるとき、誰かが、なにおかの譜を付けたことに、間違いはないでしょう。いづれにしても、これだけ有名な曲で、長い間、不明なのも珍しいことです。
そのことが、却って、いろんな方の音楽性を豊かにし、歌い方、演奏などに、幸いしたのかも。いろんなジャンルの歌手や演奏者が、実に、自由に、楽しんんでおられます。聞き比べするだけの価値は、十二分にあります。お薦めです(笑)

三つめの、イギリスの片田舎の教会で、誕生した、讃美歌・が、なぜ、いまでは、宗教の枠を超え、世界の"愛唱歌"となり得たのか、と云う点です。
それには、過去と現代のアメリカの影響が大きく関与しています。
イギリス、ヨーロッパを食い詰め人たちが、新天地アメリカに、"白人霊歌"として定着せしめ、次にその労働力としての黒人奴隷など非白人たちを融和、手名付けるための、宣教師とこの曲普及が、ゴスペル、"黒人霊歌"他を生み、さらに、
アメリカのジャンル、ジャズ、ロックンロール、ブルースや
カントリーと混ざり合い、世界的に発信されたのでしょう。
そこには、「許し」「救い」の世界だけでなく、虐げられた人々の、「魂の叫び」を感受されるからです。
ベトナム戦争反戦歌等も、その"証"ですね。
  
"歌物語"を含め、誕生秘話は、たくさん、ありますが、この歌誕生の250年後も、まだ、続いているのです。
先生も指摘されている事柄の他に、アメリカ合衆国の合成体、州の格差や、白人間の人種、経済差別が、強いこと、また、特に、あらゆる階層の貧富、教育の格差が大きいことは、現代でもこの曲の背景と変わらぬ思いです。
よく、革命が起きないのを、感心します(笑)
「歌は、時代の鏡ですね。」(名言でしょう(笑))

曲自体にも、最近、CM、結婚の祝唄等のコマーシャル化に、嘆き反対の声も。西欧では、讃美歌をそれらに、活用すするのは、到底、考えられぬようです。仏教のご詠歌を流す感覚になるのでしょうか。一考の余地、ありますね。
でも、宗教歌が、世界を駆使し、発展したのも、他に、類を観ないと思いま。「歌には、エネルギー、パワーが、あります」ね。

この様に、曲に関心を寄せて、背景を紐解くと、新ししい世界が見えてきます。
その意味で、この先生の"物語"、ロマンの世界に入り、皆さんのコメントを拝読し、「同好の士」とお会いするのを、とっても楽しみにしてります。
とっても、楽しみにしています。

投稿: 築地武士 | 2025年8月20日 (水) 17時45分

素晴らしい蛇足に敬意を評します。
複数の知人に転送感謝されました。
奴隷商人から牧師への経緯、謎が解けました。
メアリーさんへの一途な思いを成就させるには資金が必要であったのですね。
アメージンググレースはいつ聴いても涙が込み上げます。
演奏者の知人友人からは特に感謝されました。
先生のお陰です。
異常な猛暑、又熊出没などで生きづらい昨今、どうぞご自愛ください。

投稿: りんご | 2025年8月20日 (水) 18時52分

追記
築地武士様への御礼を書き漏らしました。
敬服の念でいっぱいです。

投稿: りんご | 2025年8月20日 (水) 20時48分

リンゴ様
"敬服の念をいっぱい"頂き、感激です(笑)
先生のニュートンへの解析は、素晴らしいですね。曲誕生の
"裏"を知ると、ますます愛着が増します。
唯、私の"蛇足"では、メアリーさんには、"買い物好き"の性格があったようで、そのために、ニュートンが、励んだとも(笑)

けん 様、キー様
本田美奈子の病を得ても、この歌への愛着、生への情熱の凄さ・・涙と感動と感謝無しでは、聴けませんね。
CDの他、「最後のボイスレコーダー、歌が繋いだ命の対話」や「天使の歌声」などのテープに涙、涙ですす。

Black Swan 様
この曲に纏わる新しい視点、博学に脱帽です。間 寛平さんまで出てくるとは・・この曲のポピュラー化を嘆く人に紹介したいくらいです(笑)

キー 様
「先生の疑念」を私も・・でも、私は、英国人が持つ、「曖昧さ」「いい加減さ」とニュートンが、真に「回心」せず、一時の「改心」の空白、6年だったのではと思っています。どうでしょうか。

Konoha 様
先生指摘の、アメリカ内の「対立」は、我々の想像以上です。長年の米ペンフレンドは、それらの解消は、「絶望的」とも指摘しています。それだけに、米人のこの曲への、「心を癒し、平安を求める音楽」として、価値があり、現在でも、「第二の国歌」として、根付いているのでしょうね。

蛇足の蛇足ですが、長年のこの歌だけの、コレクト集の中で、最初の出会いの、白鳥恵美子と、"幻時代"(発売禁止期間)の、プレスリーのものは、忘れられません。
そして、オバマ元大統領の追悼歌や女優・メリルストリープの同じく、幻の"アメイジンググレイス"も、聴きごたえかあります。

先生を交えた、この集いが、あれば、博多から、這ってでも参加しますよ(笑)まだ、しゃべり足りないことが、たくさんあります(笑)

お付き合い、有難うございました。また、語り合いましょう。

(書き込みは、順不同です。ごめんなさい。)

投稿: 築地武士 | 2025年8月23日 (土) 11時03分

私もBlack Swan様同様にアメージンググレース愛、本田美奈子愛が強く
アップの彼女の映像を観る度に切なく涙が溢れます。新妻聖子さんの詳細も初めて知りました。Black Swan様にも一言御礼申し上げます。
この歌物語は老境の私にとって人生の師そのものです。
歌は世に連れ世は歌に連れの当マイクロホンの言葉をお借りします。

いつの頃よりか「私の葬送曲は月の砂漠にしてね」が「アメィジンググレースをお願いね」に変わりました。

先日、私のピアノの先生とチェリストのご主人
東京から駆けつけた先生のご学友のピアニストを交えてのコンサートがありました。
ご夫妻のアンコールに応えての
演奏はアメィジンググレースでした。
なんてタイムリーなと思いつつ目頭を拭いました。チェロの音が心の奥深くまで沁みました。
数日を経ても未だ素敵なマチネの余韻に浸っています。
残暑厳しき折同行の皆様方くれぐれもご自愛ください。

投稿: りんご | 2025年8月28日 (木) 21時29分

「目頭を押さえる 心理」のAI回答
目頭を押さえる仕草は、嘘をついている、何かをごまかそうとしている、または心にやましいことがあるといった心理状態の表れである可能性が高いです。

誤った表現?
目頭を拭ったは誤りと気がついて検索したら
目頭を押さえたで検索したら
こんなの出てきました。

涙が込み上げましたで良かったのでしょうか?
読む力も書く力も劣化しており
自ずと投稿も控えております。


投稿: りんご | 2025年8月29日 (金) 07時40分

リンゴ様
私も、先生と、この歌物語の皆さん、そして、この「アメイジンググレイス」は、同じく、「人世の師」そのものてす
米のペンパルに、私の、この曲に対する思いを今、認めた、ばかりです。「ゆるし」と「救い」の詩が、時や地を経て、しかも、宗教歌の枠を超え世界の人々に、心の安らぎと幸せや平和を希求する歌にまで、なっています。
一方、コマーシャル化傾向を懸念する声もありますが、歌の持つ、魅力と歌い手や演奏者の、自由な思い思いの表現は、聞き比べるとなお一層、愛着が増しますね。

私は、葬送曲と棺搬入品は、この曲とそのテープを指定していますが、仏教の場なのと、焼却場の許可が得られるか、が心配です。その折には、蓋を開いてね再度、お願いするつもりです(笑)

投稿: 築地武士 | 2025年8月29日 (金) 16時50分

築地武士様
同じような感性の方に巡り会えて光栄です。これも偏に蛇足師匠のお陰です。


交流の広場でなく敢えてこの場への投稿をお認め下さい。

本田美奈子さんの
哀切な幕切れにも泣きました。
最後まで希望を失わず直向きでしたね。その彼女か最後に歌い上げたのが
アメィジンググレースとは余りにも皮肉でしたね。
何時迄も色褪せず胸の奥深くに残ってます。

投稿: りんご | 2025年8月29日 (金) 18時00分

リンゴ様、キー様、BlackSwan様、
二木先生も、本田美奈子の熱烈なファンなのかも・・・(笑)
だって、このブログの訳詞は、岩谷時子で、唄が彼女のモノ。

それにしても、何時、聴いても心の底から、感動し、余韻が残りますね。
まさしく、この歌のために、生れ出た方なんでしょう。彼女の歌とこの曲に対する愛着に出会なかったら、こんなに、広まらなかったと思います。
不治の病を得た彼女と、偶然、同じ病院での訳詞者との、この歌を通じての交流、何度、ビデオをみても、涙、ボロボロ(笑)
この歌の持つ、約250間の"パワー、エネルギー"は、改めて、凄いと思います。

また、年を重ねると"感動が薄くなる"と申しますが、こんな、"天変地異"の世の中でも、先生や皆さんのような、この一つの歌を愛する、同好、愛好の士、ロマンの世界を得たことに感謝しています。先生、有難う。 

投稿: 築地武士 | 2025年9月 5日 (金) 16時04分

私に、この世で、一番好きな曲は、と訊かれたら、間違いなく、「アメイジンググレイス」と答えます。
私は、クリスチャンでもなく、無神論者の年寄りです(笑)。

80 年代終わりに、白鳥恵美子のCMに流れる、この曲のクリスタルボイスに、雷に打たれたような衝撃を受けました。
"なんと、心洗われる曲、何だろう!"と。
それから、同名の曲を、試聴もせず和洋版を、買いあさり、また、TVやラジオ場組を、詳細に調べ、一旦仮録画録音し、それらの全てから、この曲専用のラジカセに歌手、演奏を各ジャンルごとに、編集し納めました。
その間、経済的時間的に、神がかっていましたね(笑)
女性や音楽に夢中になると、こうなるのでしょうか(笑)

収録した全てのモノが、好きですすが、特に、ボーカルの、
ロンドン交響楽団とのダイアナロス、黒人公民権運動のジュディコリンズ、ベトナム反戦運動のジョンバエズ、五輪のジェシーノーマンとナナムスクーリー、ヘイリーと美奈子のライブ、夏川りみと古謝美佐子、KISHIKO、ホイットニーヒューストン、レーナマリア、プレスリー、シセルシェルシェブ、中丸見三千恵、ロビンソン&ジェローム、綾戸知恵、鮫島由美子、森山良子、ロットスチュアート、等などナド・・

ゴスペルでは、"うねる様な"マハリアジャクソン、"神がった"ようなアレサフランクリン、バーバラヘンドリックス、アレサヘンドリックス、シーシーヒューストン、亀渕友香、"叫ぶ"ジャニスジョプリン等などナド(笑)

C&ウェスタンでは、ジーンリッチィ&ドックワトソン,ジョニィキャッシュ、ハンク佐々木、トミー谷岡(友人で私のために)メルレハガード、グレンキャンベル等

讃美歌では、高見久美子、森 裕理、エターナル、国分友里恵、ハーレム少年合唱団、ベアンテボーマン等々多数。

器楽曲では、Frの工藤重典、Harのゲーリーレバァント、ジョンドーン、Panfのザンフィル、Cherの溝口 肇、バグパイプのロイヤルスコッチドラコン、フィドルのマークオコナー、特筆は、アメリカインディアンのフルートや縦笛と現地語の唱、尺八の斎藤道山、(Tr)の池田順子、坂本龍一等々。

(順不同とジャンルの指定、そして名を挙げなった方々、御免なさい。紙面の関係ですので(笑))

その他で、これまた(笑)特筆は、オバマ元大統領の銃乱射事件での追悼歌や女優メリルストリープのプライベイト披露、故 美芳の結婚祝い唄、テキサス刑務所死刑囚のC.G.等

ビデオでは、NHKの「ミシシッピ川讃美歌アメイジンググレイスの旅路」「Song to Song」「アメリカ心の旅、名曲アメイジンググレイスのルーツ」「アメイジンググレイスストーリー」等。
そして、本田美奈子の、「最後のボイスレコーダー、歌が繋いだ命の対話」、「天使の歌声」等。

最後に、書籍や資料としては、彩流社の「アメイジンググレイス」桐田豊正の「アメイジンググレイスの魅力を追いかける」,宇多津キリスト教会の「歌に隠された魂の救いの物語・アメイジンググレイス」、梅谷音楽学院、久保郁子の
「アメイジンググレイス」、生まれ変わる勇気を与えてくける曲」等々多数。

PCお持ちの方は、「アメイジンググレイス」で、検索すれば、多数の資料が出ます。それぞれの方が、その立場で解説、批評されいます。それらを、読み比べると、この曲への魅力や愛着が、一層増しますよ。是非、お薦めです、騙されたと思って(笑)

投稿: 築地武士 | 2025年9月 8日 (月) 16時33分

我らの、二木先生が、長く続いた酷暑や大雨などの天変地異の、しかも健康を一時崩された中、ブログの「蛇足」と解説の研鑽そして、演奏の吹込み、等々、さぞかし、身を削る思いだったのでは・・・と正直に推察しています。
勿論、ここの、歌物語、全曲も、です。
私達は、マウスを動かすだけで、感動し感謝して楽しんでおりますが、どの曲にも、もっと、丁寧に読み、コメントや意見を出すべきと思います。それが、先生への私たちの感謝、お礼の、唯一の方法では、ないでしょうか。
先生も、ブログの創作のご苦労や伝えきれなかった"思い"も、お話し頂ければ、有難いです。

(この欄の主旨に反しますが、ここで、敢えて延べさせて頂きました。)

投稿: 築地武士 | 2025年9月10日 (水) 15時41分

皆さんの投稿がなく寂しいので、又、「蛇足」として、お邪魔します(笑)

繰り返しますが、この曲の、魅力の一つは、"これが、「アメイジンググレイス」だと云う定説、定番がないことです。"
その"謎と魅力"に再度、迫りたいと思います(笑)

先ず、1779年に、イギリスの片田舎で、これも数奇な半生を経た、ニュートン牧師により、原題「Faith's Review and Expectation (「信仰の反省と期待)」として、同教会の讃美歌集に掲載されたものが、いつ、何のために、誰が、「アメイジンググレイス」に、改題したのかと云うことです。意外と、本人かもしれませんね。
勿論、私も現タイトルが、好きですが。疑問として残ります。
それに、不思議なことに、どなたもこの点に、解説がないのです。疑問視する、私が可笑しいのでしょうか(笑)

次に、ジョンニュートンのこの詩、誕生前後から生涯の紹介でも、年号や、取り上げ内容までの相違が、内外の解説者に観られます。当時の文献や伝承の少ないせいでしょうか。
そして、白人対非、ヨーロッパ対非、クリスチャン系対非、等々、その相違を読み比べたら"一目瞭然"です、まるで、"独自論"の世界です(笑)
正に、伝説の名曲にも、歴史上、当然だと、そう思うとこの曲の魅力・無定説の証の一つなのかも(笑)

更に、詩が誕生しても、譜がなければ、歌えません。しかし、当時の作曲者は、不明です。想像できますすか。
当地の民謡か流行り歌のメロディで、伝承され、英国からヨーロッパを経て、アメリカに入り、先ず、白人霊歌として、定着したのでししょうか。
その後、その白人に虐げられた、多くのアメリカインディアンや黒人奴隷ほかの人々に、抑圧融和のためのキリスト教改宗が、独立戦争や南北戦争などの期間や、宣教師による懐柔が行われ、黒人霊歌などとして、アメリカの他のジャンルを取り込んんで、爆発的に広まったと思われます。
アメリカの白人も、特に、カトリック系人々は、その傾向を好みません。ニュートンの詩を、変更追加された、新しい詩を認めず、原詩のままで六番唄うそうです。
これは、ヨーロッパでも同じです。また、ニュートンの評価も低いそうです。聖歌であっても、"はやり歌"、"コマーシャルソング"では、ないそうです。
"歌は時代の鏡"と申しましたが、人種や宗教対立や世界の流れに抗するを観る思いがします。
又、さきに、今や、世界の各言語で、この曲を聴けると申しましたが、正確では、ありません、
特に、政治、宗教や文化の格差、相違で、知られてないし、歌われていません。これが、残念ですが、現実で当然です。

宗教対立と云えば、「アメイジンググレイス」は、宗教の枠を超えた、今や、その傾向に顔をしかめる人もいるくらいの、世界の"流行り歌"となりましたが、皆さんは、その宗教歌から、一般的に、私達が口ずさんでいる歌が、多いのを、ご存知ですか。
「きよしこの夜」「諸人こぞりて」等々は、クリスマス商戦の定番です。「神と共にいまして」は、世界の送別歌として馴染みですね。「いつしかは知らねど」は、「真白き富士の根」のメロディ。「目覚めよわが霊」は、「蛍の光」。
「いつくしみ深き」は、「星の世界」のメロディ。
また、「主よ御許に近づかん」は、映画「タイタニック」の主題歌に、その他、ドイツのように、国家のメロディとしたところもあります。
仏教やマホメット教など他宗にも同様にあると思います。
でも、「アメイジンググレイス」が、映画、ドラマ、C.M.ゲーム機等の世界にまで、拡散ししたように、宗教歌と私のような無神論者の心を捉え、250年以上も生き続けている、歌のエネルギーに驚愕します。
皆さんは、如何ですか。

また、長々と、ご拝読、ありがとうございました。
ご意見や、反論、またまた、新説を期待しています。
是非、お願いいたします。

投稿: 築地武士 | 2025年9月14日 (日) 17時22分

 築地武士さまへ、

 「アメイジング…」に関する詳細等、小生には知らないことばかりでありまして、とても勉強になりました。有難うございました。

 小生の手元に「アメイジング…」の音源が1曲だけあります。それは1967年に米コロムビアに移籍したパティ・ペイジによる讃美歌集LPでのヴァージョンで、オルガンをバックに、例によって一人二重唱で歌っております(Columbia CS-9305)。収録されている曲は「友なるイエス」「主の身許に」「千歳の岩」「園にて」「また逢う日まで」「朽ちた十字架」(※レコードではすべて英語表記)等々です。蛇足ながら、本アルバムのジャケット写真はパティの横顔写真で、これが素敵なのであります。既にご案内の節は、ご勘弁を…。

投稿: ジーン | 2025年10月23日 (木) 16時08分

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