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2025年12月30日 (火)

かやの木山の

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詩:北原白秋、作曲:山田耕筰

かやの木山の
かやの実は
いつかこぼれて
ひろはれて
 
山家(やまが)のお婆(ば)さは
ゐろり端
粗朶(そだ)たき 柴たき
(あかり)つけ
 
かやの実 かやの実
それ 爆(は)ぜた
今夜も雨だろ
もう寝よよ
 
お猿が啼(な)くだで
早よお眠(ね)

(下の絵は2026年の年賀状用に作成したものです)
Kayanokiyama2

《蛇足》 山田耕筰が北原白秋の詩に曲をつけた最初の作品。作曲したのは大正11年(1922)7月で、雑誌『童話』に発表されました。

 その後、二人の共同編集雑誌『詩と音楽』の第三号『民謡童話号』にも掲載されました。

 以後、山田耕筰は白秋の詩に次々と曲をつけ、多くの名作を生み出しました。『からたちの花』『この道』『ペィチカ(ペチカ)』『待ちぼうけ』『砂山』『城ヶ島の雨』『あわて床屋』など、広く愛唱されてきた歌ばかりです。

 白秋の詩が素朴でわかりやすいこともあり、一部を除いて永く童謡として歌われてきました。しかし、現代では、クラシック系の声楽家が歌曲として歌うのが一般的になっています。

 榧(かや)は、イチイ科カヤ属の常緑針葉樹で、その実(タイトル下の写真)は食用になり、狩猟採集漁労の時代から人間や動物に食べられてきたようです。
 現代でも、クッキー、ケーキ、おかき、せんべいなどに入れたり、和え物に混ぜたりして愛好されています。
 ただ、気候変動の影響か、収穫量が年々減っており、そのうち高級食品になってしまうかもしれません。

(二木紘三)

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コメント

二木先生の新しい作品に、先生がお元気なのを知り、嬉しくて投稿しています。福岡県久留米市育ちの私は高校生の時に弟と自転車で柳川まで行き、白秋生家と「帰去来の詩碑」を見ました。以降、何度も柳川には行きました。私も来年は80歳になります。歌を歌って健康長寿を願っています。先生もお元気でいらしてください。

投稿: 江尻陽一 | 2025年12月30日 (火) 04時54分

(文中一部敬称略)
二木先生が【蛇足】で挙げてらっしゃる、作詞:北原白秋(北原隆吉、1885~1942)、作曲:山田耕筰(山田耕作、1886~1965)のコンビによる作品は私も存じ上げておりますが、この『かやの木山』、そして同曲が白秋・山田コンビの最初の作品であったことはこちらのWebではじめて知りました。
また、前コメントの江尻陽一様が幾度か来訪された、福岡県柳川市の白秋生家(白秋記念館)は私も元号が変わったばかりの6年前のゴールデンウィークに初めて訪れましたが、その際同記念館に展示してあったとある楽曲の楽譜(印刷による再録)を見て「この曲も白秋と耕筰による作品だったのか」と驚きました。
それが『(愛知県)岡崎市歌』です。

『岡崎市歌』(1937年発表)
作詞:北原白秋、作曲:山田耕筰

(1番)
雲にかがやく 龍城(りゅうじょう)の
青葉の嵐 仰(あお)ぎ見よ
国に築きし 先傑(せんけつ)の
勲(いさお)は高し この力
奮(ふる)えよ我等(われら) 後永(のちなが)く
堅実の地歩(ちほ) 日に継がむ
岡崎これや 我が光
岡崎これや 我が郷土

(2番)
名にしゆたけき 天恵(てんけい)の
矢作(やはぎ)の流れ まさに見よ
土は肥えたり 西三河
眺(なが)めは広し この平野(へいや)
奮えよ我等 明(あき)らけく
営々(えいえい)の業(わざ) 世に布(し)かむ
岡崎これや 我が光
岡崎これや 我が郷土

(3番)
煙(けぶり)にぎはふ(にぎわう) 新興の
時代の勢(きおい) ここに見よ
音にきこゆる 産業の
誉(ほまれ)は高し この栄(さかえ)
奮えよ我等 眉(まゆ)わかく
躍進の都市 いまどよむ
岡崎これや 我が光
岡崎これや 我が郷土

※歌詞著作権消滅:1992年12月31日

当時岡崎市は一般公募で歌詞を募集したもののどれもインパクトに欠けた内容だったため「入選なし」の結果に終わり、苦肉の策で白秋と山田に依頼して出来上がったんだそうです。
この『岡崎市歌』が正式に市の条例で制定されたのは発表されてから四半世紀後、奇しくも同市で人気シンガーソングライターかつ女性デュオ「あみん」メンバーの岡村孝子(岡村→石井→岡村孝子、1962~)が生誕した1962年なんですが、岡村をはじめお笑いコンビ「キャイ~ン」の天野ひろゆき(天野博之、1970~)、女性ものまね芸人のキンタロー。(結婚前の旧姓:田中志保、1981~)、YouTuber集団「東海オンエア」メンバーかつミュージシャンの青春ヶ丘俊光(鈴木俊光、1993~)といった、岡崎市出身の著名人たちも『岡崎市歌』を聴いて、かつ歌って育ってきたのか、私も同じ愛知県人(東尾張在住)として気になるところです。

投稿: Black Swan | 2025年12月30日 (火) 17時14分

私も Black Swan 様のように、北原白秋山田耕筰のゴールデンコンビの歌について書かせていただきます。米沢村村歌です。米沢村は長野県の諏訪地方にあり、私にとって恩師と親族の出身地です。米沢小学校校長と山田耕筰さんの繋がりから作られた歌で、北原白秋さんご自賛の歌であり格調が高いです。一番は:

仰(あふ)げよ建御名方(たけみなかた) 童(わらべ)よわがますらを
神にささげ誠を 八ヶ岳雲居たなびき
窓に澄む雪の蓼科 米澤わが村彌栄(いやさか)

「たけみなかた」は諏訪大社の祭神で、長野県一円に祀られている神様のお名前です。米沢村は歌にあるように八ヶ岳と蓼科山が美しく、「縄文のビーナス」など縄文時代の遺物で国宝になっているものが二つ出たところです。この歌は米沢村の数千年の歴史に輝くもう一つの国宝であるように感じます。


投稿: 冬二 | 2025年12月31日 (水) 19時05分

私も 江尻陽一様、 Black Swan 様のように、柳川の北原白秋の生家に行きました。柳川のどんこ舟に乗り、川下りの終り近く、北原白秋さんの生家が近くなったあたりで、次のことに感銘を受けました。船頭さんが岸辺の壁に水の光が映って揺れているのを指差し、これこそが、白秋先生が歌に詠まれたものです、と熱心に説明してくれました。世の中のどこに、壁に水の光が映って揺れていると言って大騒ぎをし大事にする場所が他にあるだろうかと、とても感銘を受けました。今検索してみると、その場所は「水影の碑」という歌碑が立っている場所だったようで、その碑は見ていませんが、おそらく

我つひに還り来にけり倉下(くらした)や揺るる水照(みでり)の影はありつつ

という白秋の歌が刻まれているのではと思います。検索した所、他にも、
「しづかさは殿(との)のお倉の昼鼠(ひるねずみ)ちよろりとのぼりまたも消けぬかに」(「昼鼠とは土俗に水陽炎の影をいふ」と言う注がついている)「御船倉水照(みでり)ゆたかに舟うけて吹き通る風の夏はすずしさ」
など、その場所を歌った白秋の歌がありました。水の光を大事にする文化が大事に思われます。

投稿: 冬二 | 2026年1月11日 (日) 21時35分

大正11年の歌ですか、まったく知りませんでした。死んだ父が大正9年生まれだったから知っていたかも。白秋の歌詞がいいですね。地に足がついたという確かなものを感じる。かやの木は山で見たことがあるけどかやの実が食べられるとは知らなんだ。
北原白秋にはちょっとした思い出があります。40代のころ天草下島へ行ったことがある。島原の乱の調査です。富岡から大江まで海沿いに北から南へまっすぐ続く道があります。
明治40年(1907)与謝野鉄幹(35歳)が新詩社の同人である北原白秋(23歳)木下杢太郎(23歳)平野万里(23歳)吉井勇(22歳)を連れて、富岡から大江教会まで延々と38キロも歩いたという。それは「「五足の靴」という紀行文にしるされている。
隠れキリシタンの遺跡を求めてバカみたいに歩いた彼らがとても好きになった。親分風の鉄幹も良いし、面の皮のまだ厚くなかったであろう4人の学生もすばらしい。 
白秋はこの体験は「邪宗門」に結実しましたね。

投稿: 越村 南 | 2026年2月 4日 (水) 04時56分

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