2023年3月19日 (日)

思えば遠くへ来たもんだ

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:武田鉄矢、作曲:山木康世、唄:武田鉄矢(海援隊)

1 踏切りの側に咲く
  コスモスの花 ゆらして
  貨物列車が 走り過ぎる
  そして夕陽に 消えてゆく
  十四の頃の僕は いつも
  冷たいレールに 耳をあて
  レールの響き 聞きながら
  遥かな旅路を 夢見てた
  思えば遠くへ 来たもんだ
  故郷(ふるさと)離れて 六年目
  思えば遠くへ 来たもんだ
  この先どこまで ゆくのやら
 
2 筑後の流れに
  小魚釣りする 人の影
  川面にひとつ 浮かんでた
  風が吹くたび 揺れていた
  二十歳(はたち)になったばかりの僕は
  別れた女を 責めながら
  いっそ死のうと 泣いていた
  恋は一度と 信じてた
  思えば遠くへ 来たもんだ
  今では女房 子供持ち
  思えば遠くへ 来たもんだ
  あの頃恋しく 思い出す
 
3 眠れぬ夜に 酒を飲み
  夜汽車の汽笛 聞くたびに
  僕の耳に 遠く近く
  レールの響きが 過ぎてゆく
  思えば遠くへ 来たもんだ
  振り向くたびに 故郷は
  思えば遠くへ 来たもんだ
  遠くなるような 気がします
  思えば遠くへ 来たもんだ
  ここまで一人で 来たけれど
  思えば遠くへ 来たもんだ
  この先どこまで ゆくのやら

《蛇足》 昭和53年(19789月21日にポリドールから発売。
 
昭和55年(1980)8月1日、松竹映画『思えば遠くへ来たもんだ』8月2日公開の挿入曲として再発売。

 昭和56年(1981)には、映画と同じタイトルでテレビドラマが作られ、TBS系列で放映されました。3月からまず全3話が放映され、同年10月からその続編として全6話が放映されました。

 映画版・ドラマ版とも、若い教師と、落ちこぼれ生徒たちとの心の交流を描いたもの。映画版は武田鉄矢、ドラマ版は古谷一行が教師役を務めました。

 人生を旅に例えるのは、よく使われる比喩ですが、この歌も、歩んできた人生を追懐するという形になっています。
 ただ、6年目で「思えば遠くへ来たもんだ」と追想するのはどうでしょう。

 歌詞から考えると、離郷したのは20歳前後と思われますが、これから6年目で来し方を振り返るのは、早すぎまませんか。
 先日、3歳の女の子が「アタチが赤ん坊のときにね…」とお父さんに話している動画を見て、かわいくてつい笑ってしまいましたが、これと大して変わらない感じ。
 
27歳ぐらいの時期は、迷ったりしながらも前に向かってひたすら進んでいる時期。記憶をリコールすることはあっても、しみじみと追懐する年齢ではありません。

 ただ、武田鉄矢は、その後のコンサートなどでは、出郷からの年月経過を考えて、10年目、20年、30年とアレンジして唄ったとテレビで語っています。20年、30年では、音符に合わせて「目」を省略したそうです。

 人によって違うでしょうか、来し方をしみじみ回顧するのは、還暦あたりからではないでしょうか。
 このぐらいの歳になると、積み重ねてきたものが多く、過ぎ去った年月を偲ぶのが自然になります。

 ただ、年を追うごとに、豊穣だった思い出が、突然消え、あるいはフェイドアウトして、だんだん少なくなってきます。
 その結果、「アレのときのアレさ、何だったっけ?」といった、答えようがない質問をして、身近な者を困惑させたり、「忘れえぬ人はいるけど名を忘れ」(鳥居和夫…
第5回シルバー川柳入選作)などと、死ぬまで絶対忘れないつもりだったことが、いつの間にか霞に覆われていたりします。

 こういった衰え方を悲観するか、肯定的に取るかで、どんどん近づいてくるゴールラインまでの過ごし方が違ってきます。
 画家で作家の赤瀬川原平は、平成9年(1997)、こういうボケや耄碌ぶりを”老人力”と呼んで積極的に評価しようと提唱しました。
 ボケや耄碌により、細かいことが気にならなくなるし、思い出したくない過去が消えてくれる。それにより、縁側で猫を抱いて居眠りするようなゆったりした時間の流れのなかで過ごせるようになるというのです(当時は、老人力を老人の頑張りという意味に取る誤解がかなりありました)

 「はるけくも来つるものかな」と、長い人生をたびたび回想した末の最終章がこの境地。これは衰えというより、のどかで静穏な状態と考えたほうが当たっているような気がします。私も、そういう境地で最晩年を送りたいと思っているのですが、凡夫の身、ついイライラしたり、落ち込んだりします。その都度自戒はしているのですが。

 なお、この歌のモチーフとキーフレーズの「思えば遠くへ来たもんだ」は、中原中也の詩『頑是ない歌』(下記)から採ったもの。モチーフは同じでも、武田鉄矢の思い出(たぶん)を付け加えているので、ちょっと違った味わいの歌詞になっています。

      頑是ない歌

    思えば遠く来たもんだ
    十二の冬のあの夕べ
    港の空に鳴り響いた
    汽笛の湯気(ゆげ)は今いづこ

    雲の間に月はいて
    それな汽笛を耳にすると
    竦然(しょうぜん)として身をすくめ
    月はその時空にいた

    それから何年経ったことか
    汽笛の湯気を茫然(ぼうぜん)
    眼で追いかなしくなっていた
    あの頃の俺はいまいづこ

    今では女房子供持ち
    思えば遠く来たもんだ
    此(こ)の先まだまだ何時(いつ)までか
    生きてゆくのであろうけど

    生きてゆくのであろうけど
    遠く経て来た日や夜(よる)
    あんまりこんなにこいしゅうては
    なんだか自信が持てないよ

    さりとて生きてゆく限り
    結局我ン張る僕の性質(さが)
    と思えばなんだか我ながら
    いたわしいよなものですよ

    考えてみればそれはまあ
    結局我ン張るのだとして
    昔恋しい時もあり そして
    どうにかやってはゆくのでしょう

    考えてみれば簡単だ
    畢竟(ひっきょう)意志の問題だ
    なんとかやるより仕方もない
    やりさえすればよいのだと

    思うけれどもそれもそれ
    十二の冬のあの夕べ
    港の空に鳴り響いた
    汽笛の湯気や今いづこ

(二木紘三)

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